2015年12月31日木曜日

2015年のマンガ

音楽評論家の友人が「音楽を評価するポイントはアクチュアリティがあるかどうか」であると話してくれたことがある。僕がマンガを気に入る理由もそのあたりと近いように思える。ほんの数十分のヒマつぶしである以上にマンガはなにかをもたらしてくれる、なにかを示してくれる。そんな風に考えているのです(だからといってただのヒマつぶしであることだって悪いことじゃあありませんよ)。本当は『アンの世界地図』や阿部共実も入れたかったけれど去年も書いたので今回は除きました。じゃあ「池辺葵や志村貴子も入ってたじゃん」という話なのだけれど、まあそれはそれ。『岡崎に捧ぐ』や『波よ聞いてくれ』などもおもしろかった。『ダンジョン飯』はあまり評価したくない気持ちがあります。書影クリックで Amazon 飛びます。


1. 池辺葵『プリンセスメゾン』


「来たるオリンピックを前に世界中から注目を集める大都市 東京」……。匿名的な土地と時代を舞台に選びつつも、確実に時代感覚を捉えてきた作者がついに照準を合わせてきた。何百何千万の街の灯。堅牢なタワーマンション。ここには持たざる者のままならなさがあり、孤独な人々のあまりに静穏すぎる時間が流れている。《居酒屋勤続8年目、年収250万ちょっと、独身》の沼ちゃんが探している "運命の物件" は『どぶがわ』における老婆の夢の中のお屋敷のようなものなのかもしれない。だけど彼女は「家を買うのに自分以外の誰の心もいらない」と言う。そして本作には、そんなおひとりさまたちのゆるやかな連帯がもたらす、かけがえのない瞬間がいくつも描かれている。「この息苦しい世界においてはなによりも「幸せになること」が最上のレジスタンス」(小田真琴)であると信じること。幸福を諦めず願うなら、その半分はもう既に手の中にあるのだ。


2. いがらしみきお『誰でもないところからの眺め』



法案を通すプロセスも、文科相の方針も、マイナンバーもアベノミクスもアップルミュージックもめざましテレビも気にくわない人間がいるとして、「じゃあ日本人をやめたらいい」と言えるならどんなによかっただろう。自由意志であるかのように見せかけて、選びようのない選択を迫ることは暴力にほかならない。僕らは愛すべき生活を、将来を、家族や隣人を人質に取られているようなものだ。「こんなひどい世の中なのになんでみんな逃げないのか」と自問しつつ「逃げることはできない」と自答する本作は、それでもなお逃走を試みる。だが、もはや正気でいられる場所はどこにも残されていないのかもしれない。「自己」すらも漂白し、漂流したその先から見える眺めは、新たな希望かはたまた人間の終焉か。


3. 安藤ゆき『町田くんの世界』



「我々は、作品に対する芸術家のように、熱く、そして醒めながら人間関係に接さねばならないだろう」。いがらしみきおは92年の時点でこのような予言を残していた(乗代雄介さんのブログで知った)。「我々は人間関係をまるでシゴトのように対処し始めているはずである。ただこのシゴトには給料が出ない。いきおい、我々のこのシゴトはネガティブなものになる。しかし、給料の代わりに快感をもたらすことはできるのではないか」。黒髪メガネの町田くんは優等生ライクな容貌とは裏腹に勉強が苦手で、五〇メートル走は女子より遅い。だけど要領は悪くても、人を愛することには自信があると彼は言う。同じく「別マ」連載の『君に届け』や『俺物語!!』のような作品がヒーロー像をパロディ化するからこそむしろ伝統的な男性観を強調してしまっているとすれば、本作こそは少女マンガの新たなオルナタティヴである。町田くんに惹かれる人々は静かに増えているようだ。世界に昨日よりも優しいまなざしが溢れることを願って。


4. 若木民喜『ねじの人々』



発売中の『Quick Japan Vol.123』でも紹介しているのでそちらも読んでみてください。ここには補遺のようなものだけを書き添えておく。周囲を見渡しても「哲学」や「思想」に関心のある人ほど不幸せそうに見えることが不思議だった。よりよく生きるための智慧が哲学であるはずではなかったか。この構造を本作は簡潔に説明してくれている。突き詰めれば突き詰めるほど問題は後退する。この世界にはまだ十分な熟議を行うだけの素地が出来上がっていない。よりよい社会の実現は難しいのかもしれない。だがそれがどうしたというのか。納得のいく道が限られた人生を引き当てた以上は苦悩を抱えることぐらい腹を括るべきだ。


5. 鈴木小波『ホクサイと飯さえあれば』



市場の膨張とともに細分化の著しいグルメマンガには、いろんなものがある。メシの嗜好が様々なように、どんな作品が琴線に触れるかは人それぞれ……。だが、『高杉さん家のおべんとう』なきいま、僕は本作を推す。まず「まんが」っぽいかわいさがあるところがいい。ダイナミックな魚眼パース、ここぞの見開き、デザイン、ドコを切っても美味しいマンガだと思う。食べっぷりの気持ちよさで魅せるのではなく、料理の過程に重きを置いているのもいい。切り刻む、混ぜる、焼く、そのひとつひとつの行為に快感があるのだ。絵を描く者にとって線を引くことそれ自体に喜びがあるように。そして、完成を待ち焦がれる時間こそが、人生を華やかに引き立てるためのスパイスになるのだろう。


6. 海野つなみ『逃げるは恥だが役に立つ』



「お仕事としての結婚」について思考実験する物語である。結婚は、社会の規範や、個々人の信条、経済などあらゆる要素が複雑に絡んでいるために面倒で、時節柄、ネガティヴになりがちな問題だ。恋愛を「10代はファンタジー、20代はロマンス、30代はビジネス」として割り切れるのであればともかく、恋愛結婚という建前があるからこそ欲が出て不幸になるということもある。「業務給料休暇は細かく設定」「家賃食費光熱費は折半」「夫婦としての稼働の際は時間外手当」といった「業務規定」を設けた偽装結婚生活においても情が湧いてしまうのだから物事は一筋縄ではいかないものだ。だが、なおも本作の登場人物たちは第3の道を模索することをやめない。すべてが露骨な世の中だからこそ、あなたが望めば自由に生きることもできるのだ。『東京タラレバ娘』を読んでも誰も幸せにはなれないけれど『逃げ恥』なら幸せになれる可能性があります。


7. 一ノ関圭『鼻紙写楽』



40年のキャリアを通して、本作を除くと2冊の文庫本に収まる作品があるのみ。寡作で知られる作家の、四半世紀ぶりの新刊だという。僕の人生とまったく同じ時間、待ち続けた読者もいるのだろう。あとから来た若輩者の特権として、そんな月日はお構い無しに読み、そして唸った。これっぽちも無駄がない、洗練とはこのことか。説明や注釈や配慮が粋を削ぐということを、そのリズムが、スタイルが暗に示しているようにも思える。絵の巧緻以上に、語り口に泡を食わされた。東洲斎写楽という謎に包まれた浮世絵師が登場する過程を描いた話だが、むしろその背景にある田沼政治から寛政の改革へと世が移り変わる時代の、出版や芝居の世界を巻き込んだ大きな混沌の物語だ。いかがわしさを愛する者であれば松平定信の潔癖な政策に感じるところもあろう。だがなんにせよ、人は生きて死に、世は流れる。我々も生きて、死に、流れていきましょう。


8. 志村貴子『淡島百景』



「志村貴子まつり」と銘打ち半年近くにわたり新刊が10冊(フェア期間の翌月にも『娘の家出』と『こいいじ』の新刊が出た)も立て続けに刊行された2015年はなんと贅沢な年だったか。そのどれもがベスト級の傑作。加えて同人活動においても4冊の新作が上梓されている。どうなっているのだ……。チャートを埋め尽くしてしまったって構わないのだが、ここではタイトルだけで満点の本作を挙げる。少女の人生を貫き通した憧れと嫉妬、誰にも語られることのない独白を、複雑な構成と演出で緻密に編み込む作風は、『わがままちえちゃん』ともに前人未到の域に達したといえる。ひとつ難癖を付け加えるとすれば、本作は『青い花』と同じA5版で刊行されるのが最も望ましいように思えた。


9. 都留泰作『ムシヌユン』



院浪生である主人公は昆虫博士になる夢に破れ、故郷である沖縄最南端の島へ逃げ帰ると、折しも起きた未曾有の超新星爆発を一目見ようと集まる人々でごった返し、居場所がない。初恋の女性に再会するも即座に失恋し、絶望のさなか、空から降ってきた謎のエイリアン(?)にペニスを乗っ取られる。焼け付くような性的衝動が沸き上がり自分をコケにしてきた女たちへの復讐に駆られるが、ひどいコミュニケーション障害のため心が何度も折れる。ダメ人間のダメすぎる表情や身振りのあまりの不気味さは作者の人間観察力と表現力の証左であろう。いったいこのマンガはなんなのか。1巻を読んだ時点で衝撃的だったが、5ギガトンの核ミサイルが降り注ぐ第2巻においてもショックは薄れることなく、狂乱は累加するばかりである。とにかくこの爆裂熱帯クローネンバーグというか、コズミック・リビドー・サスペンス・コメディの瘴気にあてられてほしい。


10. 東村アキコ『東京タラレバ娘』



すべてを自己責任論に帰するのはよろしくないという声や、結婚がすべてを救済してくれるなどと捉えるのはいかがなものかという向きもあるかもしれない。ただ僕たちは孤高のリベラリストに振り切れているわけでもない。僕は1月で25歳になるのだけれど、これを読んで身につまされている場合じゃないんじゃないかという気もするが……突き刺さった作品であることは間違いない! そして、いま現在の日本の姿を捉えた作品のひとつであることも疑いべくもない。20代最後の夏、この東京で開かれるオリンピックを僕はどのように受け止めるのだろう。国威発揚のお祭り騒ぎのあとも人生は続く。展望はまだない。




この数年の日々の糧となった、以下の作品が完結しました。本年の記憶として併記します。順不同。

あらゐけいいち『日常』
柳原望『高杉さん家のおべんとう』
松本次郎『女子攻兵』
新田章『あそびあい』
池辺葵『繕い裁つ人』
入江亜季『乱と灰色の世界』
岩岡ヒサエ『星が原あおまんじゅうの森』
中村ゆうひ『週刊少年ガール』
フォビドゥン澁川『パープル式部』
鈴木みそ『ナナのリテラシー』
望月ミネタロウ『ちいさこべえ』
谷川史子『清々と』
松本大洋『Sunny』
福満しげゆき『うちの妻ってどうでしょう?』
衿沢世衣子『ちづかマップ』

2015年12月28日月曜日

2015年の音楽

誰かが《エンタの神様》の声で「遅れてきた反抗期〜!」と叫んでいる。つつがない10代を送った者にはありがちなことだが、20代に差し掛かって思春期を迎えることは人生に大きな負荷をかける場合があるらしい。教師を殴るより上司を殴る方が大事になる。「馬鹿?」。いやいや、そういう人もいるんだってば。若い頃 "そこそこ" 順調だったのが、どっかで頭打ちになるということ。葛藤の少ないティーンエイジを送ることができたのはハッピーだ。だが、何も考えないことと引き換えに手に入れた幸福のツケは、いつかは払わなければならない。そういう支払いのことをたとえば「イニシエイション」と呼んでもいいけれど、最初から免除されているおかげで払わずに済む人もいるし、多大な負担を苦に自殺してしまう人もいる。そして僕はといえば……、腹を括りかねている。僕にはみんながそれなりに「人生をやっていっている」ように見えるし、それはすごいことだと思っている。守れない約束なんかするから辛くなるのだろう? 現状がいちばんマシなんてこともないけどさあ……。「世の中がひどい」ことも言い訳にしていたいし、「終物語」の老倉育のように今さら幸せになるのも億劫だ。ダラダラやってる方がラクだなんて本当に中学生みたいで恥ずかしい。だけど、今年はそんなムードが若干の原点回帰をもたらしてくれたような気がする。1位だけは最初から決まってた。ロックは、オルタナティヴであるということはなによりも素晴らしい。「遅れてきた反抗期」っつーか、むしろ最初から僕は "そんなん" だったことを思い出させてくれるレコードだ。そうだ、いつだってひとりになりたかったじゃないか、ひとりであることに苛立ちを覚えながらも。誰かと一緒に聴きたい音楽は、このなかにひとつもありません。

  1. Courtney Barnett『Sometimes I Sit & Think & Sometimes I Just Sit』
  2. PIZZICATO ONE『わたくしの20世紀』
  3. Tyler, The Creator『Cherry Bomb』
  4. Phew『ニューワールド』
  5. Oneohtrix Point Never『Garden Of Delete』
  6. Kamasi Washington『The Epic』
  7. Kendrick Lamar『To Pimp A Butterfly』
  8. cero『Obscure Ride』
  9. Joanna Newsom『Divers』
10. ermhoi『Junior Refugee』

11. ECD『Three wise monkeys』
12. OMSB『Think Good』
13. Jenny Hval『Apocalypse, Girl』
14. Arca『Mutant』
15. Viet Cong『Viet Cong』
16. Various Gorge Artists『Ondo Dimensions』
17. SEKAI NO OWARI『Tree』
18. Ava Rocha『AVA PATRYA YNDIA YRACEMA』
19. Julia Holter『Have You In My Wilderness』
20. Marching Church『This World Is Not Enough』

21. Roman GianArthur『OK Lady』
22. Toro Y Moi『What For?』
23. 柴田聡子『柴田聡子』
24. Young Fathers『White Men Are Black Men Too』
25. Titus Andronicus『The Most Lamentable Tragedy
26. Sleater-Kinney『No Cities To Love』
27. Panda Bear『Panda Bear Meets The Grim Reaper』
28. Jamie xx『In Colour』
29. Jim O'rouke『Simple Songs』
30. Milky Wayv『The Best Mixtape You've Ever Heard』

31. Juçara Marçal & Cadu Tenório『Anganga』
32. dCPrG『Franz Kafka's South Amerika』
33. Liturgy『The Ark Work』
34. Deerhunter『Fading Frontier』
35. Tyondai Braxton『Hive1』
36. Sugar's Campaign『FRIENDS』
37. Dr. Dre『Compton』
38. Alfred Beach Sandal『Unknown Moments』
39. Earl Sweatshirt『I Don't Like Shit, I Don't Go Outside』
40. U.S. Girls『Half Free』

41. Donnie Trumpet & The Social Experiment『Surf』
42. Swindle『Peace, Love & Music』
43. Jay Prince『BeFor Our Time』
44. シャムキャッツ『Take Care』
45. Giant Claw『Deep Thoughts』
46. butaji『Outside』
47. Lauren Desberg『Twenty First Century Problems』
48. Leonardo Marques『Curvas, Lados, Linhas Tortas, Sujas E Discretas』
49. 僕とジョルジュ『僕とジョルジュ』
50. Alabama Shakes『Sound & Color』

2015年12月17日木曜日

ATTACK, DECAY, SUSTAIN, RELEASE (やめるな! 一生やれ! なんでもやれ! ほっといてくれ!)

毎年この季節になると全てが厳しくなってくる。暑いよりかは寒い方がよいと思っているのだが……。なにもかもをやめてしまうことばかりを考える。周囲の人間に対する寛容の度合いが下がる。そしてここではないどこかへの願望が増大する。

スカートの「愛情」という曲に「冬には友達もちょっと増えて / 静かに暮らす夢を見る」という歌詞があるけれど、そういう気持ちとは正反対の心境にあるといえる。もう随分と前にリッキーがツイートしていたこのラインの解釈は、「冬の頃には新学期の頃に比べると仲間たちでいることが馴染んできて、落ち着いて暮らすことができる」みたいな感じだったと思う。それはたしかにいいな、と思った。だが実際の僕は、高2の冬はとにかくクラス替えをしたかったし、高3の冬ははやく卒業したかったことをよく覚えている。大学2年の冬はサークルに行かなくなった。23歳の冬は転職をした。


朝、目を覚ました瞬間から厳しいものがある。なにか音楽を聴いて「良い」と感じることはできるけれどそんなに気持ちが晴れるわけではない。なぜか、数百円から一千円程度の無駄遣いが増える。有意義とはいえない。建設的ではないことをしなければならないのは真面目な自分には辛いものがある。しかしそんな日々の中でも、ただギターリフを黙々と繰り返し、繰り返し演奏している間だけは憂鬱を忘れることができることがわかった。


くるりの「Race」という楽曲は、2004年にリリースされた 5th Album 『アンテナ』の3曲目に収録されている。この楽曲のメインリフは、定位の左側に振られたわずかにクランチ気味のエレクトリックギターと、右側に振られたバンジョーがユニゾンでオーバーダビングされている。バンジョーに関しては不明だが、ギターは1弦2弦6弦のみをそれぞれ全音落とした DADGAD チューニングでの演奏だ。レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジやペンタングルのバート・ヤンシュが多用したことで知られるチューニングだが、もともとはイングランド人ギタリストのデイヴィ・グラハムが開発したとされている。ブリティッシュトラッドや中東音楽の要素をロックミュージックに持ち込んだ功績は大きい。16分のシャッフルに非常に細かいハンマリング&プリングオフが絡む上に、ピッキング時に大きく弦を跨ぐためそこそこの演奏技術が求められる。ベースのDに対して16分の4拍目に♯Fが鳴らされるためコードはDメジャーとなり、奇妙な明るさを想起させつつ、コードトーン以外のG、♭B、さらに平行調の3度となるFが一連のフレーズに連なるため翳りが感じられ、名状し難いムードを生み出している……。




「明るく生きなさい」と言われる。まったく反論の余地がない。草木に朝のあいさつをしたり犬にソーセージをあげるなどしながら生きたいものだ。しかし、元気であろうと思うだけの心の支えがないと感じる……。大切なものはとにかく失いまくった。望みはあまりに薄い。窮地に立たされている。


そしてその身をどうするんだ、自らに問いかけた言葉……。



(続きません)



近日、2015年の音楽編、およびマンガ編を更新します。


【2015年に読んで感銘を受けた本】
1. リチャード・パワーズ『オルフェオ』
2. ミシェル・ウェルベック『服従』
3. 乗代雄介『十七八より』

中原昌也『知的生き方教室』
森茉莉『貧乏サヴァラン』
庄野潤三『プールサイド小景』
サリンジャー『フラニーとゾーイー』
橋本治『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』
須原一秀『自死という生き方』
こだま『塩で揉む』
蚩尤『制服至上: 台湾女子高生制服選』

2014年12月31日水曜日

2014年の音楽

 音楽ファンがグダグダであることとこの国のリベラル左翼がグダグダであることはどこか似ている気もする(両方とも困る)今日、もはや音楽に熱を上げることは(もしかして)ダサいことなのでわ、という想いが去来することは正直ある、ということを告白しておきつつ、他方では『Jazz: The New Chapter』『うたのしくみ』『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』などの充実した書籍の登場が音楽理解の更新をもたらしてくれた2014年でした。つまり純粋に "Music" を読み解くことはいまなお面白いが、音楽を通して世界や人間を語ることは「……」。『新しい音楽とことば』はとても面白かったのですが。しかし、周囲の鋭敏(だと私が思っている)な若者たちも次々と音楽を語ることを諦めているなか、我らがタナソーの鼻息がふたたび荒くなりつつあることを、『SNOOZER』に感化されて育った自分としては嬉しく感じています。『THE PIER』収録のライナーノーツには感動しました。
 
 自分はというと、いよいよ趣味趣向が固定化しつつあるのを感じます。古い音楽との接点がない(見出しづらい)音楽にはなかなか夢中になれない。しかもドメスティックの割合がどんどん大きくなってる。Last.fmによれば今年はキリンジとピチカートファイヴをいちばん聴いていたようです。やはり先述の『うたのしくみ』『ナイトフライ』の影響もあり、クラシックスをより深く聴きたいという気持ちが強かったかもしれない。実際のところ、話題作はどれも良かったと思いました。ただいざ挙げるとなると……ちょっと後ろめたいところがある。そこまでは聴いてないでしょ、と。こんなモンが他人を批判するのはいかがなものか? 僕は問題ないと思います。

 話題作のなかでも個人的な関心と重なり合ったと感じられたもの、それほど話題にはならなかったけどアチキは好き、な作品を中心に11+11枚挙げます。今回はポエムはありません。本当に繰り返し聴いたぞいと胸を張って言えるのは最初の4枚ですが、どれも素晴らしかった。しかし今年は、マンガを読んでる方が全然楽しかった(同様に、今年は映画を観るのが楽しかったという人は少なからずいるでしょう)。今年は中学の頃から数えてリスナー歴 "やっと" 10年目なのですが、いろいろな意味でこんな風になるとは思わなかったです。


1. 菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラール『戦前と戦後』

2. くるり『THE PIER』

3. Leo Tomassini『Arpoador』

4. 『映画「たまこラブストーリー」オリジナル・サウンドトラック』

5. D'Angelo & The Vanguard『Black Messiah』

6. Gruff Rhys『American Interior』

7. Antonio Loureiro『in Tokyo』

8. 森は生きている『グッド・ナイト』

9. Kimbra『The Golden Echo』

10. ayU tokiO『恋する団地』

11. A Sunny Day In Glasgow『Sea When Absent』

以下、発売順

Brian『Brian』
Stephen Malkmus & The Jicks『Wig Out At Jagbags』
Nir Felder『Golden Age』
Diggs Duke『Offering For Anxious』
坂本慎太郎『ナマで踊ろう』
古川麦『far/close』
Elizabeth Shepherd『The Signal』
北園みなみ『PROMENADE』
Azealia Banks『Broke with Expensive Taste』
OMSB『OMBS』
竹達彩奈『Colore Serenata』


【シングル、配信など】
1. Donnie Trumpet & The Social Experiment「Sunday Candy」

2. 悠木碧「クピドゥレビュー」

3. 冗談伯爵「幽霊のバラード」

4. cero「Orphans」


5. emamouse「田園調布ラプソディ」(13年)


6.  Ne-Yo『New Love』


7.  あおい (井口裕香), ひなた (阿澄佳奈), かえで (日笠陽子), ここな (小倉唯)『夏色プレゼント』



8. 無敵DEAD SNAKE『乙女の秘密 feat.ラブリーサマーちゃん』



9.  婦人倶楽部『FUJIN CLUB』



10.  Kane West『Western Beats』


11. ピクニック・ディスコ『君のTwitter』

2014年12月27日土曜日

2014年のマンガ、11本

お久しぶりです。「他人と生きることは難しい」という、センチメンタル飛び越えロマンチックな問題をいまさら痛感していた2014年は、遅れてきた青春期というか、楽しい一年でした。家族のこと、将来のこと、社会のことと、青臭い悩みがあるくらいが何事にも感動できます。ここで選んだ11本は、生活者である自分がどういうことに切実さを感じているかとイコールであると言えます。むしろそうでなければ、出版社が編纂するコミックガイドほどの役割は果たせそうにない個人チャートなんて面白くないでしょう。日記をつけない(来年はつけたい)自分にとって、こういうことはやはり大切なのです。念のため一言付け加えると—通販のカスタマーレビューやまとめ的各種サイトを覗くたび思うことですが—、マンガを感情だけで読んでしまうのは勿体無いことです。「感情が動かされること」と「感動すること」は違います。以下、私のコメントはすべてポエムですので、キチンとしたあらすじなどはどこかでご参照を。興味を惹かれるものがあれば幸いです。また、音楽編を後日更新する予定です。


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1. 吟鳥子『アンの世界地図』



箸の持ち方一つとっても滲み出てしまう幸福と不幸は存在する。押し付けられた環境のもと、怠慢や無頓着と対峙するにはどれだけ心を費やす必要があるだろうか。「毎朝しあわせな気持ちで起きてみたいです」と願うロリータの戦闘服を身に纏った少女は、知らない土地の優しい人々に手を引かれはじめてその小さな世界を拡げようとしている。現実的な生活感覚は見失わず、しかし豊かさを獲得せんとする意志が感じられるところがいい。朝ドラ化を所望します。


2. 志村貴子『娘の家出』



24年組の古来より母娘の軋轢は少女マンガの華、にも関わらずそういう作品は減ったとざっくり感じるのは何故だろう。エスケープするにせよ『アンの世界地図』のアンのようなタイプでさえ身の処し方がドライなのは時代の差なのか。家庭環境の崩壊はもはやデフォルト。『放浪息子』から一貫して描いてきた(「普通」の人々の)ジェンダー・アイデンティティの問題も当然織り込み済みで、だからこそ旧来的な家族観に囚われないヒロインたちの逞しさは希望でもある。


3. 阿部共実『ちーちゃんはちょっと足りない』


劣等感や自己嫌悪は思春期ならではの普遍的な心の有り様だと言うこともできる。だけど10年前だったらこういう作品は生まれなかったのではないか。貧乏だから何もできない / する気が起きないというのは根深くそして今日的な問題である。飢餓感をクールに受け流す新田章『あそびあい』も面白かったけれど、希望と絶望とあらゆる感情がないまぜになったラストシーンを正面から描き切った本作に軍配を上げたい。


4. 福島聡『星屑ニーナ』


いまとなっては誰も意識することはないけれど、マンガの世界ではいつだって相対性理論のように時間が伸び縮みし、無機物が有機物に変わるくらいの奇跡が簡単に起こっている。これはそういうマンガそのもののファンタジーがそっくりそのまま幸福なおとぎ話になったのだと言ってもいい。今年は「人が人を好きになることの不思議」を追い続けた植芝理一『謎の彼女X』と本作が完結してしまったことを寂しく思う。


5. 田島列島『子供はわかってあげない』



マニアックな細かいネタを共有しあったり軽口を叩き合える親密な間柄でも、本当に大切な気持ちはいつだってうまく表現できないし、そのうえ自分だけの特別な言葉を発明するなんてほとんどの人にとっては叶わない。だからこそ人々は先祖代々、シンプルな言葉で想いを伝えるという行為を重ねてきたのだけれど、そこには名状しがたい集積があることを大人になるまえに知っておいてもいい。


6. 池辺葵『どぶがわ』


清貧と言ってしまえば聞こえは良いかもしれないが、慎ましさや孤独とは強いられるものなのか選び取るものなのか。オーダーメイドの洋裁店を舞台にした『繕い裁つ人』ではまだかろうじてマテリアルとも言える「豊かさ」が、ここではすでにまどろみの中の箱庭に依拠している。時代感覚という点では「テン年代の『リバーズ・エッジ』」とはただの言葉遊びに過ぎないけれど、思った以上の意味がある。


7. 中野シズカ『モリミテ』


西村ツチカさんは「カケアミには漫画本来の呪術的なパワーが宿る」と仰っていたけれど、ではスクリーントーンの場合はどうだろう。「原稿がしなる」と笑いまじりに語っていた作者の初の長編となる本作では、蠱惑的な森が立ち上がり、その奥底へと我々を誘った。タイトルの「モリ」にはラテン語の「mori(死)」も含まれているという。無垢の少女たちだけが夏の夜の夢を見る森でアンチエイジの国の魔女はなにを見るだろうか。


8. 関根美有『白エリと青エリ』


就活、ブラック企業、格差社会と、資本経済のエグみが増す一方のこの世の中において労働への強迫観念は高まるばかりだなあと感じる今日この頃ではあるが、不貞腐れることなく「働くとはなにか」を見つめ直そうとするエリ一家の柔らかな矜持に感化される人々が増えたらいいと私は思っている。手段も目的もひとが生きる意味のすべてではないのだ。文科省は本書を全国小中学校の各教室に3冊ずつ設置すべし。


9. 宮崎夏次系『夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない』


最悪な現実が反転する瞬間のダイナミズムを鮮やかに描く作家として宮﨑夏次系を捉えていた私は、本作の暗さに当初は面食らったものの、時間を隔てて再読してみるとこの渋さがイイ…。Aの理由があるからA' の行動を起こしたとは限らないのは少し考えてみれば当たり前のことなのに、と殺人事件やいじめのニュースを見るたびに感じるが、メッセージばかりが先行して感情の複雑さや因果関係による説明の困難さが置いてけぼりになっているのかもしれない。


10. ヤマシタトモコ『運命の女の子』


ヤマシタトモコの漫画はどれもおもしろいからすごい、とは遅ればせながらファンになった者のニワカ発言として捉えてもらって構わないのだが、過去作品を一気に通読したうえでやはり本作はかなりの意欲作であると見受けられる。サスペンス、ラブストーリー、ファンタジーと三者三様の短篇たちを(内容の濃度からしても)簡潔にレジュメすることは難しいものの、一言でいえばいずれにも通底した緊張感にノックアウト。


11. 田中雄一『田中雄一作品集 まちあわせ』


「こんな国で本当に子供を産んで育てていけるの?」と人の親なら考える。先細りした未来が待つ世界では誰かを守ろうとすることすら過酷である。西島大介『Young, Alive in Love』は、なおもどうしようもなくボーイはガールにミーツしてしまうことをポジティヴに描いていたと思うが、それに比べるとここに収められた物語はいずれも苦味があれど実直で、ゆえにSFとしてのハードな想像力ではなく切実な感性にこそ胸を打たれた。



またこの年の記憶として、以下の11本と風見2さんの数々の1pマンガがあったことを併記します。

岩本ナオ『町でうわさの天狗の子』
三好銀『もう体脂肪率なんて知らない』
高木ユーナ『不死身ラヴァーズ』
近藤ようこ / 津原泰水『五色の舟』
阿部洋一『橙は半透明に二度寝する』
岩岡ヒサエ『孤食ロボット』
都留泰作『ムシヌユン』
野田彩子『わたしの宇宙』
高野文子『ドミトリーともきんす』
福島鉄平『スイミング』
花輪和一『呪詛』

2014年4月29日火曜日

『悠木碧 - クピドゥレビュー』



 1976年、ドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンドは、30〜40年代のスウィングジャズとラテン音楽、そして当時最新のディスコを混交した、なんとも形容し難いチャンポンミュージックを奏でるグループとして登場しました。折からのディスコブームと共にヒットしたものの、単なるディスコと呼ぶにはノスタルジックなムードとトロピカルなフィーリングが摩訶不思議で、彼らの音楽が蒔いた種は日本にも伝播し、評論家の今野雄二さんが大絶賛したり、細野晴臣さんがYMO結成へのロールモデルとしたりと局所的な影響を及ぼします。それからやや時は流れ、80年代以降のシティポップ、ニューミュージックシーンでは、日本社会の経済的成長が相まってか、リゾート感の溢れる音楽が隆盛を極めますが、その中でドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンドの音楽が元ネタとおぼしき楽曲もいくつも制作されました。これらの日本のポップスを今では「サヴァンナバンド歌謡」()()()と呼び、好事家たちの発掘の対象となっています。


 えー、今の話は簡単なイントロダクションなわけですけども、今回こうして紹介しています4月30日発売の『クピドゥレビュー』、これは先行公開されたのを聴いた時点で久々に、非常にグッとくるものがありまして、フライングゲットかまして手に入れ、こうしてブログを更新するに至っております。シングルの発売が待ち遠しい、という感覚が久しぶりでしたね。悠木碧さん。いまをときめく人気声優でいらっしゃいます。『魔法少女まどかマギカ』の主人公・鹿目まどか役がいちばん有名でしょう! 独特の声質と身長144cmというルックスからか、歌手活動ではロリータチックなイメージを打ち出した作品を展開されています。と、とりあえず通り一遍の説明。記事の下部の方に試聴動画を埋め込んでありますので早速再生してみていただければと思いますが、どうでしょう! 駆け回るホーンセクション、ライトメロウな和声感はまさにサヴァンナバンド歌謡と呼べる!


 直近だと星野みちるさん—元AKB48で、現在はソロ歌手として活動されているアイドルの方の楽曲が、ガッツリとサヴァンナバンド歌謡だったり(youtube)と、サヴァンナの血脈を感じる瞬間は、たまにあります。星野みちるさんは、microstarという非常にマニアライクなポップスを作り続けているユニットの佐藤清喜さんがプロデュースされているんですね。microstarの「夕暮れガール」(youtube)もサヴァンナバンド歌謡の名曲ですよね。どちらも最高です。ただ、最高ですけど、それは元ネタにどれだけ忠実であるか、という意味での最高さでもあると思います。それはサウンド以上に、BPM、つまり音楽のスピードというポイントに関して特に言える。サヴァンナ・バンドの1stアルバム「ドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンド」の1曲目、「アイル・プレイ・ザ・フール」のBPMはおよそ100前後で、星野みちる「楽園と季節風」やmicrostar「夕暮れガール」のBPMはおよそ115といったところ。ディスコで踊るための音楽としてはこれくらいがちょうど良いのですが、現代のポップス、J-POPの基準で考えるとだいぶゆったりとした設定。たとえばAKB48の「ヘビーローテーション」はBPM170ある(オタ芸を見よ。あれは音楽に合わせたダンスではなくスポーツだ)ので、それに馴れた耳で星野みちるさんの音楽を聴くと、単純に牧歌的に響くんじゃないかなと思います。言ってしまえば、古臭い。だから古い音楽が好きなマニアにはウケるけれど、広く一般にウケるかどうかというと……(「恋するフォーチュンクッキー」の例もあるので、もちろんわからないですよ!)


 しかし『クピドゥレビュー』。凡百のサヴァンナバンド歌謡よりBPMがグッと高めに設定され、四つ打ちのキックによるフロア仕様のビートはそういった憂いを吹き飛ばすには十分なキャッチーさがある。何より、まくしたてるような早口のメロディラインがありますからね。「早口」に関しては、良い機会があればじっくり考えてみたいのですが、この国のポップスにおいてはいつの間にか市民権を獲得したファクターと言えます。個人的な見解では、「早口」はその有無によってその音楽が対象としているリスナーはどういう層なのか判断できるくらい、重要なポイント。なんというか、音楽はメロディやコード進行、サウンドよりも、BPMとリズムによって規定されるものの方が多いと思いますね。


 ま、それはさておき。現行のポップスとしての条件をクリアしつつ、洗練されたホーンとフルート、そして遊び心溢れるアレンジがグイグイと耳を引きますね。キラキラとしたSEやテルミンのような効果音のほかに、トイポップ系の楽器類がふんだんにフィーチャーされています。これまでの悠木碧さんの音楽が持っていた幻想的な世界観を踏まえつつも、アッパーなチューンに仕上がっているところが良いんですよ。とても癖のあるボーカルですけども、声のプロですから、おそらくやろうと思えば何でもできてしまう(実際、最初のアルバムに一曲だけロック調の曲がある。「そういうのもできるんだぞ」というのを示したくなってしまうのだろうとは吉田豪の言)。でもそこはこの路線でさらに一歩突き進めた形なのがいい。中には、そもそもこれはサヴァンナバンド歌謡か? と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、ワンコーラス中に複数回登場するIIm→IIIm→IV→IV/Vのセクション、歌詞だと「♪素敵なプレミアSHOW (0:32〜)」「♪あきらめちゃダメ (1:17〜)」のあたりはやっぱり往年のビッグバンドジャズ的なものを狙ったものだと思いますけれど、どうでしょう。インタビューでも「もともとはもっとスタンダードなスウィングジャズ風だった」との証言があります。オリジナルのエキゾ感とは異なるけれど、最新型にアップデートされたサヴァンナバンド歌謡と言えるのではないでしょうか。


 ところで『クピドゥレビュー』がオープニングを飾るアニメ『彼女がフラグをおられたら』を僕は未視聴なのだけれど、噂を聞く限りではおもしろいとか。少し調べてみると、『帰ってきたドラえもん』などで知られる、そして愛する『謎の彼女X』でも活躍した渡辺歩が本作においても監督を務めている! 俄然、興味が湧いています。


【ナタリー - [Power Push] 悠木碧「クピドゥレビュー」インタビュー (1/4)】 http://natalie.mu/music/pp/yukiaoi03



2013年11月26日火曜日

『環望 - ハード・ナード・ダディ—働け!オタク!!—』



「好き」が仕事でなにが悪い。あたまに「エロ」のつく方の漫画家・茶畑三十歳は既婚者ながらも収入の大半を趣味につぎ込むオタクライフを満喫中。そんな彼に子供ができて…? 漫画家とお金、その趣味と生活。これは僕らの物語だ! 漫画家・環望が実体験とフィクションを織り交ぜて描いた半自伝的作品。旬の業界ネタも織り込んだ話題作!

「日本では就職とか、結婚とか、諸々の原因で音楽ファンから卒業する人が多い。それを機にCDほとんど売っちゃうみたいな。生活スタイルを変える一つとして、音楽から卒業するってのはあると思う」街の中古レコード屋で以前働いていた方がかつてそのようにツイートしていていたが、こうした光景というのは至極ありふれたものであるらしい。

 今更ですが、僕はオタクだと思います。稼ぎの大半、というかほぼ全てを僕の場合は、レコード、漫画その他に費やしてしまうという類いの。ときには「クリエイターへの礼儀として金銭を払うことは当然だし、文化発展のためにも大切なことだからしょうがない」とかなんとか、それらしいことを言ったりして。オタクたちのあの妙な意識の高さは一体何だ?! そんなものは、手の付けられない欲望を都合良く外部に理由付けしようとしているだけにすぎない。エスカレートするばかりの物欲は、いつか折り合いをつける瞬間が来るのか? それは果たしてどのような理由が考えられるだろう。だけど、当面の間は自由にさせてほしい。僕には使命がある……(何の?)

環望『ハード・ナード・ダディ—働け!オタク!!—』

 さて、『ハード・ナード・ダディ—働け!オタク!!—』。11月22日「いい夫婦の日」に発売されたばかりの新刊です。作者の環望はキャリアの長い作家で、アニメ化もされた『ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド』など作品多数、であるものの未読……。本作のことは、『燃えよペン』『アオイホノオ』などで知られる島本和彦のツイートで知りました。帯文も寄せています。



 エロ漫画家である主人公・茶畑三十歳(ペンネーム?)は正真正銘のオタク。収入の殆どをDVDBOXだのフィギュアだのといったものに片っ端からつぎ込む生活を満喫している。というのも彼の妻はその道10年以上のベテランデザイナーであり、妻の稼ぎのおかげで十分暮らしていくことができるからこそ、自由気ままなオタクライフを送れるのだ。つまりは、ヒモである。オタク生活の描き方が、マニアックなネタに限らず、実際に今年放映されたアニメや刊行されたマンガを登場させたりと、ホットな時事ネタを取り入れることで"いかにもそれらしい"印象を与えてくれる。

環望『ハード・ナード・ダディ—働け!オタク!!—』

 しかしそんな日々は突然に終わりを迎える。ある夜、妻はこんな風に切り出す。「赤ちゃんができました。いまちょうど二ヶ月目です」妻は身重のために仕事を辞め、茶畑本人の収入一本で生活費も、出産費用も引越し費用も賄わなければならなくなるという。これまでは当然のように購入していた漫画の新刊も、リイシューされるDVDBOXも、何でもかんでもとにかく買うなんてことはできなくなるのだ。想像もしていなかった現実を突きつけられて初めて、彼は「大人になるってどういうこと?」と考えるのです。



 まーしかし、なんと迂闊な……(笑)「芸事に従事する人間たるもの、家族計画だけは慎重に」というのが、書き物の道を志している先輩の教えだったことを思い出すが、それでもこういった事態には抗えないもの。ただ、この作品の主人公の場合は既に漫画家として軌道に乗っているわけで、主な問題となるのは自らの信奉する"オタク道"と現実とをどのように折り合いをつけるかということ。育児エッセイ系だったらありそうな、妊娠後のドタバタなんかもあまり描かれないし。または"父親としての自覚"だとか。言ってしまえば「それぐらい割り切れよ」と世間は切り捨てるであろう、オタクの与太話でもある。とはいったものの、そんな簡単な話でもない。僕にはよくわかる……。これまで全身全霊を懸けて打ち込んできたことを、アッサリとやめることなんて、できるか?! 本人にしてみれば、興味を失っただとか、そういうわけでもないのだから。背負い込む責任の大きさこそ結婚生活はディザスターたる所以だが、真っ当な人間であれば誰もが通過する道でもある。主人公のうだつのあがらない態度を見せつけられるたびに、アナタ(ワタシ)がオタクであればあるほど、ただただ身につまされる。いや、本当に読んでいて苦しかった!



 自分の場合……。22歳の僕には、茶畑のような現実がいまのところ実際に訪れているわけではないので、当面はいまの生活を続けていくだろうが、このような未来を想像しないでもない。実際、どうなんだろうなあ。やはり、ほとんどの人は綺麗サッパリ引退していくのだと思う。冒頭に引用した音楽ファンたちの例のように。本当は程度をわきまえながらそれなりの付き合いを続けていくべきであると、先の元レコード店員の方のツイートは続くのだが、それはなかなか難しいところなのかもしれない。茶畑も、なんだかんだでキチンと真っ当な夫になろうと現実を受け入れている。

 いや、それは当然そうであるべきなのだが、さらにその先の「一人の社会人として、家族人としての責務を全うしながら、いかにオタク道を歩むか」という部分が読んでみたかった。しかし、本作は掲載誌の路線変更によって打ち切り、急展開のエンディングで結ばれている。あとがきによれば「単行本の反響がよければ再開もある」とのことだが、個人的にも続編に期待したい。

環望『ハード・ナード・ダディ—働け!オタク!!—』

 ところで、本作はいわゆる"漫画家漫画"であるため、業界のウラ話的なネタもやはり登場する。作品内でいかに収入を増やすかに苦心する茶畑の前に、出版業界の現実、とくにエロ漫画業界の現実が立ちはだかるのだが、そのあたりの事情がなかなかおもしろい。《コンビニ売り》《書店売り》といった雑誌の販売形態によって、ページ数の規定であったり、内容の規定であったりといった、具体的な違いが解説されている。そしてその影には、現在何かと取り沙汰されている「東京都青少年の健全な育成に関する条例」などの問題がチラついてみえる。その規制のさじ加減ひとつで、茶畑のような末端のクリエイターの生活は大きくその地盤から揺さぶられてしまうのだ。もちろんエロ漫画に限った話ではないが、ここにはのっぴきのならないものがある。変態鬼畜エロ漫画家にも家族がいて、守るべきものがあって、人々が糾弾するようなエロ漫画を描くことこそが、彼らの唯一の生きる手段で……。なにかに「NO」と唱えるときはそれぐらいの想像をしてから言うべきだと、僕は思う。

(ちなみに有害コミック問題の発端に関しては米沢嘉博『戦後エロマンガ史』に詳しいのだけれど、90年代中頃までの動向を書きあげたタイミングで筆者急逝、未完に終わっている。"その後"についての仔細な研究はどこかで誰かによってまとめられているのだろうか。同人誌なんかでありそうだけど)