2013年10月1日火曜日

『町田洋 - 惑星9の休日』



新人・町田洋による、全編描き下しデビュー単行本。 辺境の小さな星、“惑星9"に暮らす人々のささやかな日常を描いた連作短編集。 凍り付いた美少女に思いを馳せる男、幻の映画フィルムにまつわる小さな事件、 月が惑星9を離れる日、愚直な天才科学者の恋…… 風にのって遠くからやってきた、涼しげな8つの物語。

 なんとか夏が終わってしまう前にこの作品を紹介したかったのに僕の場合は出会いが少し遅かった。本当にジャストなタイミングを掴むのはいつだって難儀なことだ。8月の真っ最中に刊行された本作は、昼下がりのプールサイドに立てたパラソルの陰をくぐり抜けてゆくサマーブリーズ(馬鹿みたいな表現ですね)、もしくは、やはりよく晴れた日曜日の午後の洗濯物を巻き込みフワッと舞い上がる乾いた風と乱反射する青と白と『プレヴィザォン・ドゥ・テンポ』。雨の降らないこの星では上昇する気温のせいでロードショーは続く。町田洋のデビュータイトルとなった本作『惑星9の休日』は、全編描きおろしのSF短編集である。雑誌への投稿や同人活動を行わず、インターネット上にひっそりと漫画を発表し続けてきた作者の素性は未だ謎に包まれている。竹熊健太郎責任編集のWEBマガジン《電脳マヴォ》に短篇「夜とコンクリート」が掲載されたのをきっかけに、静かに話題を集めている。


《辺境の小さな星、惑星9(ナイン)は恒星への公転に対して垂直に自転している》


 非常に書き込みが少なく、画面がスッキリとしている。すべてが同じ細さで引かれた線は陰影をもたず、それがこの作品の、どこか非現実的な空気をほど良く演出している。その代わりというわけでもないが、スクリーントーンのみで光の陰影を表現するのが上手い。線はすべてフリーハンドで描かれているため、独白の四角い囲みも建物の柱もグネグネとひしゃげているが、人物の線はやたらと直線的。ゆえにその世界は風通しがよくフレンドリーな感じのする一方で、たとえば衣服のシワなどは省略されているなど、非常に抽象的な印象も受ける。そういった意味で、現実味を欠いた80年代的な意匠が想起され、80年代的であるがゆえに現在にジャストなセンスが感じられる。

町田洋『UTOPIA』


 雰囲気は申し分ない。だが、本作を傑作たらしめる要因は、そのストーリーが物語るドラマと慕情によるものだろう。表題作「惑星9の休日」は、陽の差さない永久影と呼ばれる北の窪地にある、すべてが凍り付いたまま姿を変えることのない町に遺された美しい女性に惹き付けられた男と、彼に想いを寄せる小さな娘の出会いが描かれる。「衛星の夜」では年老いた宇宙飛行士が若い時分に月で遭遇した、永遠の時間を生きる生命体と心を通い合わせた日々を回顧する。「午後二時、横断歩道の上で」は、夏の日のある昼下がりに起きた小さい騒動にまつわるエピソードだ。あらかたの問題が解決した帰り道、車ひとつ通らない長い路の上で、ため息をついて横断歩道を渡ろうとするその時、男は、隣を歩く彼女と過ごす何気ないこの瞬間を《永遠》であると確信する。たっぷりと紙幅を割かれたコマ運びは、間延びしたかのように見える日常をドラマチックに捉える。ボーイ・ミーツ・ガールの形式を取ったこれらの作品からは、作者の"ミクロ/マクロ"な時間へのまなざしを伺うことができる。漆黒の宇宙空間のなかで淀みなく永久に流れ続ける時間も、ほんのコンマ一秒の世界をときめかせるかけがえのない時間も、淡々としたドラマツルギーのなかで等しく描き出される。永遠と一瞬の前で、それぞれの主人公たちは想いを馳せる。そのときはじめて滲み出すセンチメンタリズムに、エヴァーグリーンな輝きを感じずにはいられないのだ。

町田洋『午後二時、横断歩道の上で』


 SF作品としての、優しくも冷ややかな手触りはカート・ヴォネガットの小説が近いだろうか。漫画としての軽さと柔らかさには、帯文を寄せている絵本作家のたむらしげるや、たむらから大きく影響を受けていると思われるコマツシンヤ(今年の初夏に刊行された『8月のソーダ水』もやはり青と白のスペクトルが眩しいそれはそれはヘヴンリィな作品で、こちらも名作なので是非)に似たものを感じる部分もあるが、淡白な線と人物造形と、ときには異形の者を登場させながらドラマチックにコミュニケーションを描く手腕には市川春子の漫画を想起(本当は、あんまり引き合いにだしたくないのですけど……)させられたりもする。先に挙げた3つの短篇のほかにも、本作には珠玉の作品がいくつも収められている。ということで、ピンとくるものがある方は書店に買いに行きましょう。


 こちらのサイトから表題作「惑星9の休日」を試し読みができます。また、電脳マヴォで公開されている諸作品も実に素晴らしい。これまで述べたような暖かな光と柔らかい線は「夜とコンクリート」に、直線的な線描は「青いサイダー」に、時間感覚は「夏休みの町」にそれぞれ顕著にみることができる。



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