2013年11月26日火曜日

『環望 - ハード・ナード・ダディ—働け!オタク!!—』



「好き」が仕事でなにが悪い。あたまに「エロ」のつく方の漫画家・茶畑三十歳は既婚者ながらも収入の大半を趣味につぎ込むオタクライフを満喫中。そんな彼に子供ができて…? 漫画家とお金、その趣味と生活。これは僕らの物語だ! 漫画家・環望が実体験とフィクションを織り交ぜて描いた半自伝的作品。旬の業界ネタも織り込んだ話題作!

「日本では就職とか、結婚とか、諸々の原因で音楽ファンから卒業する人が多い。それを機にCDほとんど売っちゃうみたいな。生活スタイルを変える一つとして、音楽から卒業するってのはあると思う」街の中古レコード屋で以前働いていた方がかつてそのようにツイートしていていたが、こうした光景というのは至極ありふれたものであるらしい。

 今更ですが、僕はオタクだと思います。稼ぎの大半、というかほぼ全てを僕の場合は、レコード、漫画その他に費やしてしまうという類いの。ときには「クリエイターへの礼儀として金銭を払うことは当然だし、文化発展のためにも大切なことだからしょうがない」とかなんとか、それらしいことを言ったりして。オタクたちのあの妙な意識の高さは一体何だ?! そんなものは、手の付けられない欲望を都合良く外部に理由付けしようとしているだけにすぎない。エスカレートするばかりの物欲は、いつか折り合いをつける瞬間が来るのか? それは果たしてどのような理由が考えられるだろう。だけど、当面の間は自由にさせてほしい。僕には使命がある……(何の?)

環望『ハード・ナード・ダディ—働け!オタク!!—』

 さて、『ハード・ナード・ダディ—働け!オタク!!—』。11月22日「いい夫婦の日」に発売されたばかりの新刊です。作者の環望はキャリアの長い作家で、アニメ化もされた『ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド』など作品多数、であるものの未読……。本作のことは、『燃えよペン』『アオイホノオ』などで知られる島本和彦のツイートで知りました。帯文も寄せています。



 エロ漫画家である主人公・茶畑三十歳(ペンネーム?)は正真正銘のオタク。収入の殆どをDVDBOXだのフィギュアだのといったものに片っ端からつぎ込む生活を満喫している。というのも彼の妻はその道10年以上のベテランデザイナーであり、妻の稼ぎのおかげで十分暮らしていくことができるからこそ、自由気ままなオタクライフを送れるのだ。つまりは、ヒモである。オタク生活の描き方が、マニアックなネタに限らず、実際に今年放映されたアニメや刊行されたマンガを登場させたりと、ホットな時事ネタを取り入れることで"いかにもそれらしい"印象を与えてくれる。

環望『ハード・ナード・ダディ—働け!オタク!!—』

 しかしそんな日々は突然に終わりを迎える。ある夜、妻はこんな風に切り出す。「赤ちゃんができました。いまちょうど二ヶ月目です」妻は身重のために仕事を辞め、茶畑本人の収入一本で生活費も、出産費用も引越し費用も賄わなければならなくなるという。これまでは当然のように購入していた漫画の新刊も、リイシューされるDVDBOXも、何でもかんでもとにかく買うなんてことはできなくなるのだ。想像もしていなかった現実を突きつけられて初めて、彼は「大人になるってどういうこと?」と考えるのです。



 まーしかし、なんと迂闊な……(笑)「芸事に従事する人間たるもの、家族計画だけは慎重に」というのが、書き物の道を志している先輩の教えだったことを思い出すが、それでもこういった事態には抗えないもの。ただ、この作品の主人公の場合は既に漫画家として軌道に乗っているわけで、主な問題となるのは自らの信奉する"オタク道"と現実とをどのように折り合いをつけるかということ。育児エッセイ系だったらありそうな、妊娠後のドタバタなんかもあまり描かれないし。または"父親としての自覚"だとか。言ってしまえば「それぐらい割り切れよ」と世間は切り捨てるであろう、オタクの与太話でもある。とはいったものの、そんな簡単な話でもない。僕にはよくわかる……。これまで全身全霊を懸けて打ち込んできたことを、アッサリとやめることなんて、できるか?! 本人にしてみれば、興味を失っただとか、そういうわけでもないのだから。背負い込む責任の大きさこそ結婚生活はディザスターたる所以だが、真っ当な人間であれば誰もが通過する道でもある。主人公のうだつのあがらない態度を見せつけられるたびに、アナタ(ワタシ)がオタクであればあるほど、ただただ身につまされる。いや、本当に読んでいて苦しかった!



 自分の場合……。22歳の僕には、茶畑のような現実がいまのところ実際に訪れているわけではないので、当面はいまの生活を続けていくだろうが、このような未来を想像しないでもない。実際、どうなんだろうなあ。やはり、ほとんどの人は綺麗サッパリ引退していくのだと思う。冒頭に引用した音楽ファンたちの例のように。本当は程度をわきまえながらそれなりの付き合いを続けていくべきであると、先の元レコード店員の方のツイートは続くのだが、それはなかなか難しいところなのかもしれない。茶畑も、なんだかんだでキチンと真っ当な夫になろうと現実を受け入れている。

 いや、それは当然そうであるべきなのだが、さらにその先の「一人の社会人として、家族人としての責務を全うしながら、いかにオタク道を歩むか」という部分が読んでみたかった。しかし、本作は掲載誌の路線変更によって打ち切り、急展開のエンディングで結ばれている。あとがきによれば「単行本の反響がよければ再開もある」とのことだが、個人的にも続編に期待したい。

環望『ハード・ナード・ダディ—働け!オタク!!—』

 ところで、本作はいわゆる"漫画家漫画"であるため、業界のウラ話的なネタもやはり登場する。作品内でいかに収入を増やすかに苦心する茶畑の前に、出版業界の現実、とくにエロ漫画業界の現実が立ちはだかるのだが、そのあたりの事情がなかなかおもしろい。《コンビニ売り》《書店売り》といった雑誌の販売形態によって、ページ数の規定であったり、内容の規定であったりといった、具体的な違いが解説されている。そしてその影には、現在何かと取り沙汰されている「東京都青少年の健全な育成に関する条例」などの問題がチラついてみえる。その規制のさじ加減ひとつで、茶畑のような末端のクリエイターの生活は大きくその地盤から揺さぶられてしまうのだ。もちろんエロ漫画に限った話ではないが、ここにはのっぴきのならないものがある。変態鬼畜エロ漫画家にも家族がいて、守るべきものがあって、人々が糾弾するようなエロ漫画を描くことこそが、彼らの唯一の生きる手段で……。なにかに「NO」と唱えるときはそれぐらいの想像をしてから言うべきだと、僕は思う。

(ちなみに有害コミック問題の発端に関しては米沢嘉博『戦後エロマンガ史』に詳しいのだけれど、90年代中頃までの動向を書きあげたタイミングで筆者急逝、未完に終わっている。"その後"についての仔細な研究はどこかで誰かによってまとめられているのだろうか。同人誌なんかでありそうだけど)

2013年11月9日土曜日

『高木ユーナ - 不死身ラヴァーズ(1)(2)』



甲野じゅんの人生にたびたび現れる“長谷部りの”という女の子。出逢うたび全力で長谷部に恋するけれど、想いが届くと彼女は幻のように消えてしまう! そのたび身を裂く悲しみが甲野を襲い、そしてまた、彼女は別人の“長谷部りの”として甲野の前に現れる!! 出逢いと別れを繰り返し、甲野は入学した大学で、またまた長谷部に出逢う。また長谷部は消えてしまうのか!? それとも今度こそ恋は実るのか‥‥!?

 村上春樹が特別好きというわけでもない(だからといって嫌いということもない)が、『スプートニクの恋人』の、どんな小説だったかもすでに覚えていないけれど、「22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした」という書き出しだけはなんだかとても印象に残っている。いわゆるボーイミーツガール(『スプートニク』はガールミーツガールだけれど)のあの感じが、必要以上に大袈裟に綴られているのがいい。パンを加えた少年少女が道端でぶつかり合って起きる核分裂……または、逆回転する世界の混沌を疾走する片想い(cf.@Teke1984)。突然に起こるラブストーリーは出来ればそんな風にショッキングであってほしいし、そしてそんな瞬間が何度だって訪れてくれるといい。


 高木ユーナ『不死身ラヴァーズ』。9月に第1巻が出た時点で注目はしていたものの、ズルズルと書く機会を失ってしまっていたので、第2巻が発売されたこのタイミングで書いてみることにしました。『進撃の巨人』のアシスタント出身である作者の連載第一作である本作は、『進撃』同様に『別冊少年マガジン』で連載されているだけあって、まさに少年漫画といったハイなテンションで貫き通されている。少年誌を読む機会もなくなってしまったし、普段はこういう方面の作品はあまり追っていないのだけど、しかしこの作品は好きです。そもそも『別マガ』(この略し方でいいのかな……?『別冊マーガレット』の『別マ』と混同しそう)という媒体は「週刊少年誌では試す事の出来なかった独自の才能」を試す場として機能していて、そういう環境の中で前述の『進撃』だったり『惡の華』のようなヒットを生んでいる。単純にいいことですよね。本作も、そんな独特の存在感を持った作品のように思います。

高木ユーナ『不死身ラヴァーズ(1)』

 主人公の"甲野じゅん"は、"長谷部りの"という女の子に恋をします。それは、その理由を説明することのできないほどに猛烈で、運命的なものであって、ゆえにこの物語の命題です。どうしたって彼女に惹かれてしまう甲野は、持ち前の一直線な性格で果敢にアプローチをかけ続けた結果、その恋を叶えるのですが、何故だか両想いになるとその瞬間に長谷部の存在は幻のように消えてしまう。その姿も存在していたという証拠すらも、甲野ただひとりだけを除いては、世界中から完全に忘れ去られる。しかし、失意の日々を過ごすうちに、またまた何故だか甲野の目の前に"長谷部りの"という名前の、姿も同じ、しかし記憶も性格も、年齢もシチュエーションも全く異なる別人が登場。そしてそのたびに甲野は全身の細胞が沸き上がり、ふたたび恋をしてしまう、という……ここまでが物語冒頭の10頁で一気呵成に説明されるので、それはもう、ものすごいテンション。

 ふたたび出会った長谷部は一個下の後輩で、なんだか乱暴な性格のギャルだけれど、実は書道の達人。甲野は彼女を追って書道部に入り、彼女の目標を献身的にサポートすることでだんだんと距離を縮めるが、やっと二人が結ばれようという瞬間に、彼女はやはり消えてしまう。以下、この一連の流れの繰り返し。

高木ユーナ『不死身ラヴァーズ(1)』

 先ほども述べたように、少年漫画らしいアップダウンの激しい作品。ギャグタッチもシリアスなシーンも矢継ぎ早に飛び出してくる。それらひとつひとつの描写の思い切りがとてもよいので、そのBPMとリズム、勢いがこの作品のあり得ない設定も、甲野の考えるよりも前に動いてしまうという性格も、すべて納得させてしまうようなパワーがあります。長谷部は正直で可愛らしい女の子ではあるけど、すごく魅力的なヒロインというわけではないと思うのですが、しかし甲野は彼女のちょっとしたところだったりがたまらなくツボらしく、心も身体も無条件で彼女のことを求めてしまう。実にわかりやすくていいじゃないですか! 消えたかと思えばまた現れて、衝撃的に恋に落ちる。ひとつの物語でそう何度も描くことのできないボーイミーツガールのファーストインパクトをこうして何度も描いてしまうというのは、本作の大きな魅力でしょう。新鮮な熱量を失わないから、やっぱりそこは読んでいて楽しい。しかも、恋が成就すると彼女は消えてしまう。ルシールであり、ゼア・シー・ゴーズですよ!(『スヌーザー』読者にはおなじみの概念)そのたびに身を裂くようなブルーが彼を襲うのです。本来、恋愛物語というものは、たっぷりと時間をかけてその経過を描いていくことにその醍醐味があるわけだけれど、本作には恋愛のはじまりと終わりというピークの部分しかほとんどないわけで、それをこのハイテンションで駆け足飛びにやられてしまうと、まーやっぱりわかりやすいですよね。

高木ユーナ『不死身ラヴァーズ(2)』

 正直なところ、彼の葛藤とか、純粋な想いを貫き通すその紆余曲折みたいなものとかは、現時点では、個人的にはどっちでもいいかなという感じ(そこは本当に少年向けの部分だから)ではある。とは言え、ひとつひとつのエピソードの肝心の部分はそこであるはずなので、あまり関心がないクセに引き込まれてしまうのは、ギュッと詰まっていてわかりやすいということに加えて、作画の面白さというのもあるかもしれない。たとえば主人公に悲しいことが起きたときの、彼の心が引き裂かれていく様子を表現する描写。本編ではそうした場面が何度も登場するが、漫画らしいひと捻りがあって、なかなか面白い。そもそもデビュー作にも関わらず設定からしてガッツリSFだし、王道を描いているようで少しメタっぽいというか、作家としてけっこう器量や余裕があるのかもという気もする。ギャグのセンスも、そこは読む人それぞれではあれど、少なくとも僕はわりと好き。

高木ユーナ『不死身ラヴァーズ(1)』

 最初は同級生、それから後輩→先輩→また同級生→中学生→小学生→……などとそのシチュエーションのハードルが高くなり、二巻では"人妻"にまで到達してしまう長谷部。今後はどうかなー。登場するたびに変化する長谷部の性格やルックスのディテールにも注目。物語としてはどうなのだろう。ちょっとクサイところのある恋愛論だけに関しては、主人公が成長することでもう少し抜き差しができてくるとうれしい。また、この怪現象の謎解きのようなものはあるのだろうか。わざわざ描くようなこともないとは思うけれど。