2016年12月18日日曜日

相談

【相談1】

人生に「女の子が集まる、オタクが集まる、一人で佇む」の3パターンがあるとしたら、私の人生は「オタクが集まる」だと思う。私のツイッターのフォロワーの殆どは、屈託があり、カルチャーにかぶれた、若く、社会的地位の低そうな男性である。1行前後のツイートが多く、ヒントは少ないが、彼らの言葉はどこか怒りと寂しさを帯びている。この現状から私が何かしらの「得(とく)」をすることはない。彼らは「ただそこにいる」だけだからだ。しかし人はフォロワーを選ぶことはできない。


数年前、早稲田の文学部に通っていた私は英文科に入ることを決めた。チュートリアルで主任が英文科の講師陣をひとりひとり紹介した際に、気鋭の翻訳家としても知られるT先生について「エッジーなカルチャーに関心のある男子生徒に慕われる」というような形容をしていた。それから半年か一年経ち、T先生の演習を受けて、あのとき言わんとしていたことがなんとなくわかった。 日本では知られていない現行の海外文学を紹介する、シニカルな語り口のT先生が私はすぐに好きになった。


今年の夏頃、友人(男性、大学院生)と、その友人の友人(男性、大学院生)、私の3人で、新宿西口の焼き鳥屋で酒席を設けたとき、私は非常に下卑た品の無いジョークを繰り広げ、場を大いに賑わせていた。そんな中で、友人の友人(知り合ってから会うのは2度目だった)に「男子校出身でしょ」と言われたことが心に残っている。実際には共学校の出身である。


私は、ビール会社の営業職に求められるラガーマン的なマチズモとは一線を画す一方で、あまりにホモソーシャルに傾倒していると思う。アッパークラスならまだしもアンダークラスの中におけるそれはあらゆる立場の両翼から見ても非営利的な集団であると感じる。どうして自分が負け戦の中に身を投じているのかがわからない。どうしてですか?


【相談2】
毎年恒例、年間ベスト記事を今年も更新するか迷っています。

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