2013年11月26日火曜日

『環望 - ハード・ナード・ダディ—働け!オタク!!—』



「好き」が仕事でなにが悪い。あたまに「エロ」のつく方の漫画家・茶畑三十歳は既婚者ながらも収入の大半を趣味につぎ込むオタクライフを満喫中。そんな彼に子供ができて…? 漫画家とお金、その趣味と生活。これは僕らの物語だ! 漫画家・環望が実体験とフィクションを織り交ぜて描いた半自伝的作品。旬の業界ネタも織り込んだ話題作!

「日本では就職とか、結婚とか、諸々の原因で音楽ファンから卒業する人が多い。それを機にCDほとんど売っちゃうみたいな。生活スタイルを変える一つとして、音楽から卒業するってのはあると思う」街の中古レコード屋で以前働いていた方がかつてそのようにツイートしていていたが、こうした光景というのは至極ありふれたものであるらしい。

 今更ですが、僕はオタクだと思います。稼ぎの大半、というかほぼ全てを僕の場合は、レコード、漫画その他に費やしてしまうという類いの。ときには「クリエイターへの礼儀として金銭を払うことは当然だし、文化発展のためにも大切なことだからしょうがない」とかなんとか、それらしいことを言ったりして。オタクたちのあの妙な意識の高さは一体何だ?! そんなものは、手の付けられない欲望を都合良く外部に理由付けしようとしているだけにすぎない。エスカレートするばかりの物欲は、いつか折り合いをつける瞬間が来るのか? それは果たしてどのような理由が考えられるだろう。だけど、当面の間は自由にさせてほしい。僕には使命がある……(何の?)

環望『ハード・ナード・ダディ—働け!オタク!!—』

 さて、『ハード・ナード・ダディ—働け!オタク!!—』。11月22日「いい夫婦の日」に発売されたばかりの新刊です。作者の環望はキャリアの長い作家で、アニメ化もされた『ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド』など作品多数、であるものの未読……。本作のことは、『燃えよペン』『アオイホノオ』などで知られる島本和彦のツイートで知りました。帯文も寄せています。



 エロ漫画家である主人公・茶畑三十歳(ペンネーム?)は正真正銘のオタク。収入の殆どをDVDBOXだのフィギュアだのといったものに片っ端からつぎ込む生活を満喫している。というのも彼の妻はその道10年以上のベテランデザイナーであり、妻の稼ぎのおかげで十分暮らしていくことができるからこそ、自由気ままなオタクライフを送れるのだ。つまりは、ヒモである。オタク生活の描き方が、マニアックなネタに限らず、実際に今年放映されたアニメや刊行されたマンガを登場させたりと、ホットな時事ネタを取り入れることで"いかにもそれらしい"印象を与えてくれる。

環望『ハード・ナード・ダディ—働け!オタク!!—』

 しかしそんな日々は突然に終わりを迎える。ある夜、妻はこんな風に切り出す。「赤ちゃんができました。いまちょうど二ヶ月目です」妻は身重のために仕事を辞め、茶畑本人の収入一本で生活費も、出産費用も引越し費用も賄わなければならなくなるという。これまでは当然のように購入していた漫画の新刊も、リイシューされるDVDBOXも、何でもかんでもとにかく買うなんてことはできなくなるのだ。想像もしていなかった現実を突きつけられて初めて、彼は「大人になるってどういうこと?」と考えるのです。



 まーしかし、なんと迂闊な……(笑)「芸事に従事する人間たるもの、家族計画だけは慎重に」というのが、書き物の道を志している先輩の教えだったことを思い出すが、それでもこういった事態には抗えないもの。ただ、この作品の主人公の場合は既に漫画家として軌道に乗っているわけで、主な問題となるのは自らの信奉する"オタク道"と現実とをどのように折り合いをつけるかということ。育児エッセイ系だったらありそうな、妊娠後のドタバタなんかもあまり描かれないし。または"父親としての自覚"だとか。言ってしまえば「それぐらい割り切れよ」と世間は切り捨てるであろう、オタクの与太話でもある。とはいったものの、そんな簡単な話でもない。僕にはよくわかる……。これまで全身全霊を懸けて打ち込んできたことを、アッサリとやめることなんて、できるか?! 本人にしてみれば、興味を失っただとか、そういうわけでもないのだから。背負い込む責任の大きさこそ結婚生活はディザスターたる所以だが、真っ当な人間であれば誰もが通過する道でもある。主人公のうだつのあがらない態度を見せつけられるたびに、アナタ(ワタシ)がオタクであればあるほど、ただただ身につまされる。いや、本当に読んでいて苦しかった!



 自分の場合……。22歳の僕には、茶畑のような現実がいまのところ実際に訪れているわけではないので、当面はいまの生活を続けていくだろうが、このような未来を想像しないでもない。実際、どうなんだろうなあ。やはり、ほとんどの人は綺麗サッパリ引退していくのだと思う。冒頭に引用した音楽ファンたちの例のように。本当は程度をわきまえながらそれなりの付き合いを続けていくべきであると、先の元レコード店員の方のツイートは続くのだが、それはなかなか難しいところなのかもしれない。茶畑も、なんだかんだでキチンと真っ当な夫になろうと現実を受け入れている。

 いや、それは当然そうであるべきなのだが、さらにその先の「一人の社会人として、家族人としての責務を全うしながら、いかにオタク道を歩むか」という部分が読んでみたかった。しかし、本作は掲載誌の路線変更によって打ち切り、急展開のエンディングで結ばれている。あとがきによれば「単行本の反響がよければ再開もある」とのことだが、個人的にも続編に期待したい。

環望『ハード・ナード・ダディ—働け!オタク!!—』

 ところで、本作はいわゆる"漫画家漫画"であるため、業界のウラ話的なネタもやはり登場する。作品内でいかに収入を増やすかに苦心する茶畑の前に、出版業界の現実、とくにエロ漫画業界の現実が立ちはだかるのだが、そのあたりの事情がなかなかおもしろい。《コンビニ売り》《書店売り》といった雑誌の販売形態によって、ページ数の規定であったり、内容の規定であったりといった、具体的な違いが解説されている。そしてその影には、現在何かと取り沙汰されている「東京都青少年の健全な育成に関する条例」などの問題がチラついてみえる。その規制のさじ加減ひとつで、茶畑のような末端のクリエイターの生活は大きくその地盤から揺さぶられてしまうのだ。もちろんエロ漫画に限った話ではないが、ここにはのっぴきのならないものがある。変態鬼畜エロ漫画家にも家族がいて、守るべきものがあって、人々が糾弾するようなエロ漫画を描くことこそが、彼らの唯一の生きる手段で……。なにかに「NO」と唱えるときはそれぐらいの想像をしてから言うべきだと、僕は思う。

(ちなみに有害コミック問題の発端に関しては米沢嘉博『戦後エロマンガ史』に詳しいのだけれど、90年代中頃までの動向を書きあげたタイミングで筆者急逝、未完に終わっている。"その後"についての仔細な研究はどこかで誰かによってまとめられているのだろうか。同人誌なんかでありそうだけど)

2013年11月9日土曜日

『高木ユーナ - 不死身ラヴァーズ(1)(2)』



甲野じゅんの人生にたびたび現れる“長谷部りの”という女の子。出逢うたび全力で長谷部に恋するけれど、想いが届くと彼女は幻のように消えてしまう! そのたび身を裂く悲しみが甲野を襲い、そしてまた、彼女は別人の“長谷部りの”として甲野の前に現れる!! 出逢いと別れを繰り返し、甲野は入学した大学で、またまた長谷部に出逢う。また長谷部は消えてしまうのか!? それとも今度こそ恋は実るのか‥‥!?

 村上春樹が特別好きというわけでもない(だからといって嫌いということもない)が、『スプートニクの恋人』の、どんな小説だったかもすでに覚えていないけれど、「22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした」という書き出しだけはなんだかとても印象に残っている。いわゆるボーイミーツガール(『スプートニク』はガールミーツガールだけれど)のあの感じが、必要以上に大袈裟に綴られているのがいい。パンを加えた少年少女が道端でぶつかり合って起きる核分裂……または、逆回転する世界の混沌を疾走する片想い(cf.@Teke1984)。突然に起こるラブストーリーは出来ればそんな風にショッキングであってほしいし、そしてそんな瞬間が何度だって訪れてくれるといい。


 高木ユーナ『不死身ラヴァーズ』。9月に第1巻が出た時点で注目はしていたものの、ズルズルと書く機会を失ってしまっていたので、第2巻が発売されたこのタイミングで書いてみることにしました。『進撃の巨人』のアシスタント出身である作者の連載第一作である本作は、『進撃』同様に『別冊少年マガジン』で連載されているだけあって、まさに少年漫画といったハイなテンションで貫き通されている。少年誌を読む機会もなくなってしまったし、普段はこういう方面の作品はあまり追っていないのだけど、しかしこの作品は好きです。そもそも『別マガ』(この略し方でいいのかな……?『別冊マーガレット』の『別マ』と混同しそう)という媒体は「週刊少年誌では試す事の出来なかった独自の才能」を試す場として機能していて、そういう環境の中で前述の『進撃』だったり『惡の華』のようなヒットを生んでいる。単純にいいことですよね。本作も、そんな独特の存在感を持った作品のように思います。

高木ユーナ『不死身ラヴァーズ(1)』

 主人公の"甲野じゅん"は、"長谷部りの"という女の子に恋をします。それは、その理由を説明することのできないほどに猛烈で、運命的なものであって、ゆえにこの物語の命題です。どうしたって彼女に惹かれてしまう甲野は、持ち前の一直線な性格で果敢にアプローチをかけ続けた結果、その恋を叶えるのですが、何故だか両想いになるとその瞬間に長谷部の存在は幻のように消えてしまう。その姿も存在していたという証拠すらも、甲野ただひとりだけを除いては、世界中から完全に忘れ去られる。しかし、失意の日々を過ごすうちに、またまた何故だか甲野の目の前に"長谷部りの"という名前の、姿も同じ、しかし記憶も性格も、年齢もシチュエーションも全く異なる別人が登場。そしてそのたびに甲野は全身の細胞が沸き上がり、ふたたび恋をしてしまう、という……ここまでが物語冒頭の10頁で一気呵成に説明されるので、それはもう、ものすごいテンション。

 ふたたび出会った長谷部は一個下の後輩で、なんだか乱暴な性格のギャルだけれど、実は書道の達人。甲野は彼女を追って書道部に入り、彼女の目標を献身的にサポートすることでだんだんと距離を縮めるが、やっと二人が結ばれようという瞬間に、彼女はやはり消えてしまう。以下、この一連の流れの繰り返し。

高木ユーナ『不死身ラヴァーズ(1)』

 先ほども述べたように、少年漫画らしいアップダウンの激しい作品。ギャグタッチもシリアスなシーンも矢継ぎ早に飛び出してくる。それらひとつひとつの描写の思い切りがとてもよいので、そのBPMとリズム、勢いがこの作品のあり得ない設定も、甲野の考えるよりも前に動いてしまうという性格も、すべて納得させてしまうようなパワーがあります。長谷部は正直で可愛らしい女の子ではあるけど、すごく魅力的なヒロインというわけではないと思うのですが、しかし甲野は彼女のちょっとしたところだったりがたまらなくツボらしく、心も身体も無条件で彼女のことを求めてしまう。実にわかりやすくていいじゃないですか! 消えたかと思えばまた現れて、衝撃的に恋に落ちる。ひとつの物語でそう何度も描くことのできないボーイミーツガールのファーストインパクトをこうして何度も描いてしまうというのは、本作の大きな魅力でしょう。新鮮な熱量を失わないから、やっぱりそこは読んでいて楽しい。しかも、恋が成就すると彼女は消えてしまう。ルシールであり、ゼア・シー・ゴーズですよ!(『スヌーザー』読者にはおなじみの概念)そのたびに身を裂くようなブルーが彼を襲うのです。本来、恋愛物語というものは、たっぷりと時間をかけてその経過を描いていくことにその醍醐味があるわけだけれど、本作には恋愛のはじまりと終わりというピークの部分しかほとんどないわけで、それをこのハイテンションで駆け足飛びにやられてしまうと、まーやっぱりわかりやすいですよね。

高木ユーナ『不死身ラヴァーズ(2)』

 正直なところ、彼の葛藤とか、純粋な想いを貫き通すその紆余曲折みたいなものとかは、現時点では、個人的にはどっちでもいいかなという感じ(そこは本当に少年向けの部分だから)ではある。とは言え、ひとつひとつのエピソードの肝心の部分はそこであるはずなので、あまり関心がないクセに引き込まれてしまうのは、ギュッと詰まっていてわかりやすいということに加えて、作画の面白さというのもあるかもしれない。たとえば主人公に悲しいことが起きたときの、彼の心が引き裂かれていく様子を表現する描写。本編ではそうした場面が何度も登場するが、漫画らしいひと捻りがあって、なかなか面白い。そもそもデビュー作にも関わらず設定からしてガッツリSFだし、王道を描いているようで少しメタっぽいというか、作家としてけっこう器量や余裕があるのかもという気もする。ギャグのセンスも、そこは読む人それぞれではあれど、少なくとも僕はわりと好き。

高木ユーナ『不死身ラヴァーズ(1)』

 最初は同級生、それから後輩→先輩→また同級生→中学生→小学生→……などとそのシチュエーションのハードルが高くなり、二巻では"人妻"にまで到達してしまう長谷部。今後はどうかなー。登場するたびに変化する長谷部の性格やルックスのディテールにも注目。物語としてはどうなのだろう。ちょっとクサイところのある恋愛論だけに関しては、主人公が成長することでもう少し抜き差しができてくるとうれしい。また、この怪現象の謎解きのようなものはあるのだろうか。わざわざ描くようなこともないとは思うけれど。

2013年10月11日金曜日

『panpanya - 足摺り水族館』



2011年にすべて手作業で制作された作品集成『ASOVACE』を再構成。 特殊な形態のため未収録となっていた「足摺り水族館」と、 書き下ろしの紀行文などを加えた、現在のpanpanyaに至るまでの作品集。 過ぎ去っていった消費社会の残像と、緻密かつデタラメに浮かび上がるハイコントラストな風景が生み出す既視感。

panpanya『君の魚』

 
 この短編集に収められた作品の多くは、基本的には、主人公の女の子が町を歩いているといつのまにか異世界へと迷い込むといったお話です。拡張する日常のなかでの異化作用というか、日常の《ちょっと先にある》世界を突き進んでいくような、そんなSF感がとても魅力的な作品群ですね。全体的にグニャグニャと引かれる線には、不安定な雰囲気がよくよく表れている。同じ短篇のなかで、さらには同じコマのなかでさえもタッチがコロコロと変わっていったり。描画方法でいえば、インクで描かれた線はもちろん、鉛筆だったり筆もあったり、さらには写真などのコラージュまで。『イノセントワールド』はもともとキャンバス地に描かれているのかそれともデジタル編集でそういう効果を加えているのか……なんにせよ様々な手法が用いられているのは確か。もちろんそういう作品は今や珍しいということもないけれど、それでも抜群に上手いのですよ。使いどころというのもそうだし、何より絵がとても上手いので、描き分けが映えるわけですよね。『冥途』での飛行船の絵なんかすごい。最初はコラージュを用いているのかと思ったぐらい、画面のなかで立ち上がってる。


 街の風景であったり人工物や通り過ぎる人々、または魚たち(=水族館という場では鑑賞される対象だ)などは精密に描き込まれているのに対して、主人公やその仲間などの、物語の"こちら側"の人物は極端にデフォルメされて描かれている。それは、何を自分から切り離して捉え直し対象化するか、反対に何を主観化するかということ、つまり、どういう風に世界を認識するか? ということに意識的であるということでしょう。まあそもそも、得体の知れない物体が登場しまくったりしますし、具体と抽象がハッキリした世界のなかで登場人物は圧倒的に異邦であり、そしてその戸惑いは、"異世界に迷い込んでいく"という物語にしっかりと合致しているのです。


panpanya『完全商店街』


 一方で、すごくボヤーッとしてる感じがいいんですよね。主人公も血圧低そうな女の子ばかりだし、どのキャラクターもデフォルメされているからか、とぼけた雰囲気がある。商店街や水族館、または多摩川の風景はノスタルジック(どんな作家からの影響があるんだろうと考えていたけど、景色のなかに佇立することで人物が立ち上がってくるこの感じはつげ義春からだろうか?)だ。《過ぎ去っていった消費社会の残像と、緻密かつデタラメに浮かび上がるハイコントラストな風景が生み出す既視感》というキャッチコピーはまさにその通りで、懐かしい風景をしっかり見せながら、その《ちょっと先にある》世界を豊かに描く、その想像力が何よりも魅力的だと思います。


 得体の知れないものを探して《あらゆるものが並び手に入る商店街》に足を踏み入れる『完全商店街』も良いけれど、『新しい世界』と題された一編もいい。『新しい世界』は、自由研究のネタを求めて町を歩き出会った「新物館」—《日々新しく生まれ変わる世界のより新しい姿を展示》する—を鑑賞して回るだけのお話で、《新しい風景》《新しい新しい人々》《新しいひらがな》《新しいクイズ》などなど、主人公はあらゆる《新しい》ヘンテコなものを冷ややかな目で見つめる。フューチャリスティックであるがゆえにかえってオールド。シュールレアリスムや未来派絵画をいま振り返るとどこか牧歌的に見えるというアレ。いわゆる"レトロフューチャー"な世界というかコンセプトが僕はすごく好きだったりします。それを描くアイデアが実際どれも面白いのが良かった。どこかおかしくて懐かしい、だけど絶対的に違和感がある。本作の筆致は実に鮮やかでチャーミングであると言えます。


panpanya『新しい世界』


 Twitterなんかを見ても、かなりアブストラクト、いやあまり多くのことを語らないというか、情報がそんなにないので、どういった方なのかということがあまりわからない。公式サイトみると廃墟写真や、インターネットの番外地へのリンク集みたいなのがあって、やはりそういうのが好きなのだなと思ったり。本作も「直取引のみにて発注を承って」いるとのことなので、一般書店には置いていない(取扱店舗一覧を見ると、文教堂だったり渋谷TSUTAYAや池袋ジュンク堂に置いてあるみたい)のでなかなか取っ付きにくい部分もあるかも。まあ、amazonで手に入れるのが一番手軽でしょう! 僕は8月のコミティアのときに買いました。あまり他にないような装丁(このビニールのカバー、なんて言うのだろう?)でとても素敵です。



『足摺り水族館』特設サイトです。
いま気づきましたが、次回のコミティア106注意事項漫画も描かれていますね。これ非常にpanpanya節炸裂!といった感じで、とてもいい。

2013年10月1日火曜日

『町田洋 - 惑星9の休日』



新人・町田洋による、全編描き下しデビュー単行本。 辺境の小さな星、“惑星9"に暮らす人々のささやかな日常を描いた連作短編集。 凍り付いた美少女に思いを馳せる男、幻の映画フィルムにまつわる小さな事件、 月が惑星9を離れる日、愚直な天才科学者の恋…… 風にのって遠くからやってきた、涼しげな8つの物語。

 なんとか夏が終わってしまう前にこの作品を紹介したかったのに僕の場合は出会いが少し遅かった。本当にジャストなタイミングを掴むのはいつだって難儀なことだ。8月の真っ最中に刊行された本作は、昼下がりのプールサイドに立てたパラソルの陰をくぐり抜けてゆくサマーブリーズ(馬鹿みたいな表現ですね)、もしくは、やはりよく晴れた日曜日の午後の洗濯物を巻き込みフワッと舞い上がる乾いた風と乱反射する青と白と『プレヴィザォン・ドゥ・テンポ』。雨の降らないこの星では上昇する気温のせいでロードショーは続く。町田洋のデビュータイトルとなった本作『惑星9の休日』は、全編描きおろしのSF短編集である。雑誌への投稿や同人活動を行わず、インターネット上にひっそりと漫画を発表し続けてきた作者の素性は未だ謎に包まれている。竹熊健太郎責任編集のWEBマガジン《電脳マヴォ》に短篇「夜とコンクリート」が掲載されたのをきっかけに、静かに話題を集めている。


《辺境の小さな星、惑星9(ナイン)は恒星への公転に対して垂直に自転している》


 非常に書き込みが少なく、画面がスッキリとしている。すべてが同じ細さで引かれた線は陰影をもたず、それがこの作品の、どこか非現実的な空気をほど良く演出している。その代わりというわけでもないが、スクリーントーンのみで光の陰影を表現するのが上手い。線はすべてフリーハンドで描かれているため、独白の四角い囲みも建物の柱もグネグネとひしゃげているが、人物の線はやたらと直線的。ゆえにその世界は風通しがよくフレンドリーな感じのする一方で、たとえば衣服のシワなどは省略されているなど、非常に抽象的な印象も受ける。そういった意味で、現実味を欠いた80年代的な意匠が想起され、80年代的であるがゆえに現在にジャストなセンスが感じられる。

町田洋『UTOPIA』


 雰囲気は申し分ない。だが、本作を傑作たらしめる要因は、そのストーリーが物語るドラマと慕情によるものだろう。表題作「惑星9の休日」は、陽の差さない永久影と呼ばれる北の窪地にある、すべてが凍り付いたまま姿を変えることのない町に遺された美しい女性に惹き付けられた男と、彼に想いを寄せる小さな娘の出会いが描かれる。「衛星の夜」では年老いた宇宙飛行士が若い時分に月で遭遇した、永遠の時間を生きる生命体と心を通い合わせた日々を回顧する。「午後二時、横断歩道の上で」は、夏の日のある昼下がりに起きた小さい騒動にまつわるエピソードだ。あらかたの問題が解決した帰り道、車ひとつ通らない長い路の上で、ため息をついて横断歩道を渡ろうとするその時、男は、隣を歩く彼女と過ごす何気ないこの瞬間を《永遠》であると確信する。たっぷりと紙幅を割かれたコマ運びは、間延びしたかのように見える日常をドラマチックに捉える。ボーイ・ミーツ・ガールの形式を取ったこれらの作品からは、作者の"ミクロ/マクロ"な時間へのまなざしを伺うことができる。漆黒の宇宙空間のなかで淀みなく永久に流れ続ける時間も、ほんのコンマ一秒の世界をときめかせるかけがえのない時間も、淡々としたドラマツルギーのなかで等しく描き出される。永遠と一瞬の前で、それぞれの主人公たちは想いを馳せる。そのときはじめて滲み出すセンチメンタリズムに、エヴァーグリーンな輝きを感じずにはいられないのだ。

町田洋『午後二時、横断歩道の上で』


 SF作品としての、優しくも冷ややかな手触りはカート・ヴォネガットの小説が近いだろうか。漫画としての軽さと柔らかさには、帯文を寄せている絵本作家のたむらしげるや、たむらから大きく影響を受けていると思われるコマツシンヤ(今年の初夏に刊行された『8月のソーダ水』もやはり青と白のスペクトルが眩しいそれはそれはヘヴンリィな作品で、こちらも名作なので是非)に似たものを感じる部分もあるが、淡白な線と人物造形と、ときには異形の者を登場させながらドラマチックにコミュニケーションを描く手腕には市川春子の漫画を想起(本当は、あんまり引き合いにだしたくないのですけど……)させられたりもする。先に挙げた3つの短篇のほかにも、本作には珠玉の作品がいくつも収められている。ということで、ピンとくるものがある方は書店に買いに行きましょう。


 こちらのサイトから表題作「惑星9の休日」を試し読みができます。また、電脳マヴォで公開されている諸作品も実に素晴らしい。これまで述べたような暖かな光と柔らかい線は「夜とコンクリート」に、直線的な線描は「青いサイダー」に、時間感覚は「夏休みの町」にそれぞれ顕著にみることができる。



2013年7月10日水曜日

『渡辺麻友 - ラッパ練習中』




 AKB関連の音源を購入したのはこれが初めて。当然、このブログで扱うのもこれが最初になる。先日、歌番組で披露されたAKB48の新曲『恋するフォーチュンクッキー』(Youtubeに調度いい音源がアップされていない……)が、なかなかの佳曲だった。個人的にはAKBには露悪的であれとは言わずとも、もっと俗っぽい(良い意味で、である。役割というものがあるからだ)存在であって欲しかったとも思うのだけれど、いい曲を作ることに当然罪はない。今回取りあげるこのシングルも、悪くない。ブラスセクションをフィーチャーした楽曲で、大きなギミックが仕掛けられているわけでもないが、ポイントを押さえながらまとめられていて、それなりに楽しく聴ける。


 歌詞。おそらく受験生の、冴えない男子高校生が主人公というのは良い。歌われているのは、行きつけの近所のファミレスの店員が可愛いというだけの、本当にそれだけの内容だ。どうしてそんな歌を渡辺麻友が歌うのか? しかし、これは男に歌わせても、物凄くジメッとした情けない童貞ソングにしかならないんじゃないか。おそらく、この感じを、男子がキラキラとしたフィーリングをもって体現する磁場は、この国には既に存在しない。ジャニーズ事務所で目下一番若いグループであるSexy-Zoneに歌わせたとしても、なかなかこうはならないと思う。たとえ可愛い顔の男の子がいたとしても、こういう曲に求められるような「良い意味で情けない」キャラクターは、少なくともマスの場では成り立たなくなっているんじゃないかな。というのも、最近のティーン・ポップスなり少女漫画なりは、マセすぎな気がするのよ。小学生にしてギャル男を標榜する盛りヘアスタイルのキッズが実在するこのご時世、二枚目であるということが低年齢化しているし、だいぶ意識的というのはあると思う。もちろん、これも物事の一面しか捉えられていないだろうが……。いまこの国でボーイズ的なものが商品としてパッケージングされるには、『テニスの王子様』みたいにエクストリームな馬鹿になるか、鈴木福くんみたいに情操教育上都合の良い去勢された可愛いさを装うか、EXILEみたいにマッチョの不良になるかのどれかしかない。


 それはさておき、『ラッパ練習中』に戻ろう。言葉遣いにところどころ古臭さを感じるなー。「○○だろう」というような言い回しにはどこか古き良き文学少年の、朴訥なナイーブさがある。なんだかNHKの『みんなのうた』みたいだし、溌剌とした笑顔を見せる渡辺麻友の“健康的なハメの外し方”も、「うたのお姉さん」に近いものを感じる。どうやら、トランペットのラッパと、コーラのラッパ飲みとをかけているらしい。ふむ……これはこれでいいのだけれど、「ラッパ練習中」というテーマの曲であるのであれば、たとえば、セルジュ・ゲーンスブールだったらもっとエゲツない意味を込めてくるのではないだろうか。まず、歌詞の主人公は男性に設定せず、歌手と同じ女子にする。内容は現在のバージョンのままで、ところどころの辻褄を合わせるだけで十分だ。そこで「ラッパ」とは何を指すのか。この場では明言しないので、察していただけるとありがたい。いや、本当に下世話で申し訳ないのだけれど、ゲーンスブールの頃のポップミュージックは、そういう意地悪な捻りを持ちうることが可能だったというだけのこと。ただ、秋元康は『セーラー服を脱がさないで』の頃からスキャンダルであろうがとてもストレートでわかりやすいというか、婉曲的なダブルミーニングを用いるようなことをする人間ではないかもしれないけれど。









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告知です。

『流動化する都市大衆音楽/そのゆるやかな衰退と隆盛にまつわる三つの中間報告』
2013.08.03(SAT) at 下北沢mona records
【出演】 失敗しない生き方 / ふるえるゆびさき / Love and the Krafts
【司会】 マーライオン
【時間】 open 18:30 / start 19:00
【料金】 adv/door 共に¥2,000(+1D)

2月にリリースしたEP『遊星都市』が反響を呼んでいるベッドタウンポップバンド失敗しない生き方と、溌剌としたチェンバーサウンドで圧倒的な育ちの良さを感じさせる大学生6人組ふるえるゆびさき、そして僕のバンドLove and the Kraftsによるスリーマンです。さらに司会として、曽我部恵一との共同企画が話題にもなった20歳のSSW、マーライオンがイベントを盛り上げてくれます。予約受付中ですので、ぜひぜひご連絡ください。

2013年7月3日水曜日

『ザ・なつやすみバンド - サマーゾンビー』



 僕、今にして思えばずいぶん小さい頃から自分でCD買ってたなと。生まれて初めて買ったCDは小学校一年生の頃、入学と同時に放映が始まった『ポケットモンスター』の主題歌である『めざせポケモンマスター』。同じマンションに住んでた年上の兄ちゃんのウチに遊びにいったら持ってるのを見せられ、それで歌なんか興味ないのになんとなく僕も欲しくなっちゃって、お小遣いは貰ってたから買いにいったんじゃないかな。家から歩いて10分くらいのところにあおい書店があって、よく『コロコロコミック』や『名探偵コナン』を買いに行ってたんだけど、本だけじゃなくCDも置いてあったからたまにフラ〜っと行って『爆走兄弟レッツ&ゴー』のエンディング曲とか買ったはず。それらのCDは当然みんな8cmのシングルだった。



 ザ・なつやすみバンドは「ザ・」がつくほどその名が体を表す、ピュアでジュブナイルなポップミュージックを演奏するグループ。アルバム『TNB!』以来一年ぶりのリリースとなった『サマーゾンビー』、Youtubeで最初に聴いたときはさほどピンと来ていなかったのだけれど、この短冊シングルのトレーの網になってるところを見つめながらオーディオから「せーの!」という子供たちの声が飛び出してきた瞬間「ウワーッ」と思った。僕がリアルタイムで短冊シングルを買ってCDに合わせて歌っていた頃の記憶が全部よみがえってきた。それだけでもう僕としては十分、735円分元は取ったぞと満足しました。22歳の僕にはそんな風に響いたけれど、他の年齢の人たちにはどういう風に感じるのだろう。


♡の合図で目が覚めた
夏がくるよ やってきたよ
真剣なごっこ それは冒険
おたのしみが たくさんだね


 大江千里『夏の決心』とともに育ってきた世代的にはこのシングル、90年代のポンキッキーズで使われてても違和感ないくらい、夏休みがやってきた最初の朝の、ドキドキとワクワクが詰まっています。ポンキッキーズか。そう思うと、中川さんのボーカルが矢野顕子みたいに聴こえてきた。


この映像めちゃいいですね。
レコードに針を落とすとこから始まるのが2013年っぽい。


個人的にはワニやイグアナのイメージが強かったけど、
こっちはこっちで黒田清輝を持ってきているとは……なんて教育的態度なんだ。




 一方で、この曲のいいところはただ単純にノスタルジアを感じさせてくれるだけではないところなのかなとも思います。

たとえば街がゾンビーで
あふれ返っても大丈夫
ショッピングモールで暮らしましょう
平和な世界を夢見ましょう


 「ファスト風土化する日本」だなんて言葉があるように、均一化されのっぺりとしていく郊外の街。その元凶、悪の象徴として揶揄されるショッピングモールをここでは「大丈夫」と読み替える。そこは何でも揃っているし、休みの日には家族や友達が集まる。たまに車で出掛けたときには、そのピカピカとして大きな建物に誰もが胸を膨らませてしまうような場所。子供たちにはきっとそんな風に見えているはずだ。『たまこまーけっと』のうさぎ山商店街みたいな場所はたしかに素敵で、そういう想像力も絶対に求められているのだけれど、3分半のポップソングにはよりシンプルで原理的なものの見方が必要だとも僕は思う。そしてそれは同時に、未来に対してポジティヴな態度を示すものであってほしい。これからを生きる子供たちがこういう感覚を持っているのだとするならば、これはゆくゆく来たるスタンダードであって、問題はさておき、まずは祝福されるべきものなのだ。そういう想像力を持つことこそが真の意味で“タフ”であるということだし、それを映画だったら2時間かけて描くところをポップソングはものの数分で描いてしまうなんてことが時たま起こるから音楽は今でも聴かれ続けるんじゃないかな。


君がいることがもう事件さ
うれしすぎて 二回も抱きしめちゃうんだよ


 なによりこの感情! 中川さんの歌声はいじらしく、バンドは喜びにあふれていて、胸がいっぱいになってしまう。しかし、「サマーゾンビー」とは何のことだろう? もしかして黄泉がえり的なことを歌った曲なのかもしれない。ザ・なつやすみバンドは「ジュブナイルなポップ」とは言ったものの、「何かが終わってしまったあと」について歌ったような、ズシリとした歌が多いのも事実だ。「たべかけのアイスは溶けておもうだけじゃたりなくなる」だとか「ハート」とか全部深読みしたくなってくるな。一見するとシンプルなのに実はホラーだったりするんじゃないかと思うとちょっと怖い。うーんでも、今回はこれぐらいにしておこう。一夏かけて、繰り返し繰り返し「サマーゾンビー」へと想いを馳せてみたい。






 余談〜8cmCDについて調べてみたときに得た豆知識。世界初の8cm(欧米では3inch)シングルはフランク・ザッパのPeaches En Regalia。なるほど、流石フランク・ザッパ。あーでも、ジャケットはレコードの7inchシングルの延長というか、短冊型のパッケージはやっぱり日本独特のものなのかねえ。欧米ではほとんど普及せず、プロモ盤やオマケのCD(そういえば、今年の4月に出たフレーミング・リップスの『The Terror』のDisc 2が8cmCDだった)として稀に生産されるぐらい。








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告知です。

『流動化する都市大衆音楽/そのゆるやかな衰退と隆盛にまつわる三つの中間報告』
2013.08.03(SAT) at 下北沢mona records
【出演】 失敗しない生き方 / ふるえるゆびさき / Love and the Krafts
【司会】 マーライオン
【時間】 open 18:30 / start 19:00
【料金】 adv/door 共に¥2,000(+1D)

インディ爆心地、下北沢のモナレコードでこのような催しをやります!

2月にリリースしたEP『遊星都市』が反響を呼んでいるベッドタウンポップバンド失敗しない生き方と溌剌としたチェンバーサウンドで圧倒的な育ちの良さを感じさせる大学生6人組、ふるえるゆびさきと僕のバンドLove and the Kraftsのスリーマンです。さらに司会として、曽我部恵一との共同企画が話題にもなった20歳のSSW、マーライオンがイベントを盛り上げてくれます。

詳しくは序文も寄せていますので、上のリンク先に飛んでもらえればと思います。
来場特典なんかも用意していますんで是非ーーー!

2013年6月27日木曜日

『くるり - ロックンロール・ハネムーン』














 2011年に加入したギタリスト、吉田省念が脱退し、三人体制となったくるりの最初のシングル。iTunes Store限定で配信がスタートしたので、さっそく購入しました。くるりというバンドにおいてドラマーはハードルが高いポスト(そのあたりのことは今日ちょっとだけツイッターの方に書きました)なのでともかく、ギタリストはキャラクターが大事なのかなと思っていたので、四人体制は安定して続くんじゃないかと思っていたけれど、アルバム一枚だけで終わっちゃいましたね。


 ここ数年のくるりは、レフトフィールドのロックバンドという立ち位置から、大衆歌謡へと役割をシフトさせながら(NHKドラマの主題歌を担当するなんて『図鑑』の頃に誰が想像しただろう)、中堅として上の世代、同世代、下の世代それぞれとともに穏やかな交流を謳歌しているように見えます。まあ言ってしまえば歳をとったということですよ。さすがに、岸田繁を含めたメンバー全員がわいわいツイッターをする未来が来るとは思わなかった。そんなくるりのことを、『図鑑』や『THE WORLD IS MINE』の頃までの作品しか聴いていないリスナーは「変わってしまったな」とか思うのかもしれない。それはある意味では正しいのかもしれないが……僕はそういう言い方をする奴は認めません!僕にとってくるりは、リアルタイムで聴き始めたのは中3の秋に出た『NIKKI』からだけれど、いちばん影響を受けてきた存在だから、もうロキノンジャパンみたいな言い方するけど、共に成長してきたと思ってますから(笑)! というより、成長させられてきたわけですよ。それは僕も少しは歳をとったということでもあるのだけれど。アルバムが出るたびに「うわ、なんだこれ、もうダメかもしれない」と思うんだけど、しばらく聴きこむにつれて「…いや、なるほど、そういうことか…」と納得させられてきたのです。自分語りはほどほどにして、何が言いたいかというと、基本スタンスとして今のくるりも僕は好きだということです。


 で、『ロックンロール・ハネムーン』……トランペットのアラビアンな上昇フレーズとウィンドチャイムが魅惑的で、まずはグッと引き込まれる。この雰囲気、70年代末の音楽だ。ロックンロールはパンクに、ソウルミュージックはディスコに。楽器の変化や録音技術の過渡期がもたらした意欲的な、しかし顧みられることの少ない、ポップスのゴールデンエイジだと僕は思っています。あの時代のレコードはだいたい面白いのでオススメです。


 駆ける馬の蹄の音のような、ロールするドラム。 これ、エレクトリック・ライト・オーケストラじゃん!!エレクトリック・ライト・オーケストラ(通称:ELO)は70年代から80年代にかけて世界的に人気を博したイギリスのロックバンドで、めちゃくちゃヒットしたグループだけれども、そのプログレッシヴな楽曲とメロディセンスからヒネたポップスファンにとってはおなじみの存在ではあるのですが、ELOネタをこの国でやる人はあまりいなくて、奥田民生さんぐらいなんですよね。ユニコーンの『ヒゲとボイン』やPUFFYの『アジアの純真』のドラムロールとボコーダーを使ったシンセサイザーのサウンドはELOです。むしろ、日本では奥田民生印みたいに認知されてあまり手を出さないのかもしれない。どうだろ? ところで、ジェリーフィッシュ(90年代初頭に登場したマニアライクなUSのパワーポップバンド・クイーンみたいなハードなサウンドとコーラスワークが魅力)ネタをやるのも、なぜかやっぱり奥田民生とくるりだけなんですよね。だからやっぱりくるりだったらELOも当然やるよなと思う。そういえば、竹達彩奈の『時空ツアーズ』(作曲:筒美京平)もわかりづらいけどELOネタでした。そのあたりのことはこのブログでも以前、少し触れたので、そちらもぜひ読んでみてください。


 ボコーダー加工されたハーモニーや飛沫するアルペジオ、ポルタメントするシンセサイザーの音を聴いて、やはり『ディスカバリー』1曲目の『シャイン・ラヴ』が元ネタになっていることを確認する。このアルバム、ターバン巻いた男性がジャケットに描かれている作品なので、だからくるりの方のジャケット(タイ人漫画家、ウィスット・ポンニミット・通称タムくんによるもの)でもみんなターバン巻いてるんですね。『シャイン・ラヴ』は当時流行していたディスコビートを取り入れた猛々しい楽曲ですが、『ロックンロール・ハネムーン』はより緩やかなきらびやかさが感じられる雰囲気がいいですね。案外、あだち麗三郎の『ベルリンブルー』を聴いたときの手触りに近い物を感じました。WHOLE LOVE KYOTOでも共演を果たした、ceroの荒内さんが弾きそうなコード感なんですよね。で、全体としては“いなたい”雰囲気を持ちながら、トランペットのメロディが室内楽のような構築的な和声感を演出している。くるりが「リズム&ブルースマナーのチェンバーポップを奏でるバンド」というのはよくわかる。不思議なことに、あまりそういう語られ方はされないですけどね。『ワルツを踊れ』でやったことがあのアルバムだけで完結するわけがないし、クラシカルな和声感はくるりの大きな魅力の一つと言えるのに。ただ、この曲はそれだけじゃなく、ギミックが多く仕掛けられていて、めまぐるしく聴かせてくれる一曲ですね。


 まあでも『ベルリンブルー』を引き合いに出したのは、 異国情緒を感じさせてくれるところなのかな。単純にターバンを巻いているからというのもあるけど、エレクトリックシタールの音とか、アラビアンナイトというか、魔法の絨毯で旅に出る音楽みたいだなと思う。


 『ロックンロール・ハネムーン』は岸田さんの歌声がいいですね。楽曲を通じて、歌い出しの音がいちばん高いから、普通だったらキーの低いAメロからサビにかけてだんだん盛り上げていけばいいんだけど、この曲は頭のところでいきなりお腹に力を入れる必要があるわけですよ。実際、グッと腹を据えるような歌い方をしているように聴こえる。「不安と清々しさが混じり合った」気持ち……それは窓の外に迫っている未来に向けての何かしらの予感(だから、やっぱりこの曲も「出会いと別れ」の歌なんじゃないかなあという気もする)からくるものだとしたら、この歌声は主人公の決心を力強く、一方では頼りなさげに語っているように感じます。安易にトニック解決しないコード進行も、後半の不穏な展開もそういうフィーリングに花を添えている。楽曲がどこに帰着しないということは、旅はまだ続いていくということです。ハネムーンというモチーフを引きながら、新しい旅立ちの音楽をまた届けてくれるというのは嬉しいことですね。流転し続けるバンド、くるり!ツアー中とのことですが、アルバムにも期待がかかります。