2015年12月31日木曜日

2015年のマンガ

音楽評論家の友人が「音楽を評価するポイントはアクチュアリティがあるかどうか」であると話してくれたことがある。僕がマンガを気に入る理由もそのあたりと近いように思える。ほんの数十分のヒマつぶしである以上にマンガはなにかをもたらしてくれる、なにかを示してくれる。そんな風に考えているのです(だからといってただのヒマつぶしであることだって悪いことじゃあありませんよ)。本当は『アンの世界地図』や阿部共実も入れたかったけれど去年も書いたので今回は除きました。じゃあ「池辺葵や志村貴子も入ってたじゃん」という話なのだけれど、まあそれはそれ。『岡崎に捧ぐ』や『波よ聞いてくれ』などもおもしろかった。『ダンジョン飯』はあまり評価したくない気持ちがあります。書影クリックで Amazon 飛びます。


1. 池辺葵『プリンセスメゾン』


「来たるオリンピックを前に世界中から注目を集める大都市 東京」……。匿名的な土地と時代を舞台に選びつつも、確実に時代感覚を捉えてきた作者がついに照準を合わせてきた。何百何千万の街の灯。堅牢なタワーマンション。ここには持たざる者のままならなさがあり、孤独な人々のあまりに静穏すぎる時間が流れている。《居酒屋勤続8年目、年収250万ちょっと、独身》の沼ちゃんが探している "運命の物件" は『どぶがわ』における老婆の夢の中のお屋敷のようなものなのかもしれない。だけど彼女は「家を買うのに自分以外の誰の心もいらない」と言う。そして本作には、そんなおひとりさまたちのゆるやかな連帯がもたらす、かけがえのない瞬間がいくつも描かれている。「この息苦しい世界においてはなによりも「幸せになること」が最上のレジスタンス」(小田真琴)であると信じること。幸福を諦めず願うなら、その半分はもう既に手の中にあるのだ。


2. いがらしみきお『誰でもないところからの眺め』



法案を通すプロセスも、文科相の方針も、マイナンバーもアベノミクスもアップルミュージックもめざましテレビも気にくわない人間がいるとして、「じゃあ日本人をやめたらいい」と言えるならどんなによかっただろう。自由意志であるかのように見せかけて、選びようのない選択を迫ることは暴力にほかならない。僕らは愛すべき生活を、将来を、家族や隣人を人質に取られているようなものだ。「こんなひどい世の中なのになんでみんな逃げないのか」と自問しつつ「逃げることはできない」と自答する本作は、それでもなお逃走を試みる。だが、もはや正気でいられる場所はどこにも残されていないのかもしれない。「自己」すらも漂白し、漂流したその先から見える眺めは、新たな希望かはたまた人間の終焉か。


3. 安藤ゆき『町田くんの世界』



「我々は、作品に対する芸術家のように、熱く、そして醒めながら人間関係に接さねばならないだろう」。いがらしみきおは92年の時点でこのような予言を残していた(乗代雄介さんのブログで知った)。「我々は人間関係をまるでシゴトのように対処し始めているはずである。ただこのシゴトには給料が出ない。いきおい、我々のこのシゴトはネガティブなものになる。しかし、給料の代わりに快感をもたらすことはできるのではないか」。黒髪メガネの町田くんは優等生ライクな容貌とは裏腹に勉強が苦手で、五〇メートル走は女子より遅い。だけど要領は悪くても、人を愛することには自信があると彼は言う。同じく「別マ」連載の『君に届け』や『俺物語!!』のような作品がヒーロー像をパロディ化するからこそむしろ伝統的な男性観を強調してしまっているとすれば、本作こそは少女マンガの新たなオルナタティヴである。町田くんに惹かれる人々は静かに増えているようだ。世界に昨日よりも優しいまなざしが溢れることを願って。


4. 若木民喜『ねじの人々』



発売中の『Quick Japan Vol.123』でも紹介しているのでそちらも読んでみてください。ここには補遺のようなものだけを書き添えておく。周囲を見渡しても「哲学」や「思想」に関心のある人ほど不幸せそうに見えることが不思議だった。よりよく生きるための智慧が哲学であるはずではなかったか。この構造を本作は簡潔に説明してくれている。突き詰めれば突き詰めるほど問題は後退する。この世界にはまだ十分な熟議を行うだけの素地が出来上がっていない。よりよい社会の実現は難しいのかもしれない。だがそれがどうしたというのか。納得のいく道が限られた人生を引き当てた以上は苦悩を抱えることぐらい腹を括るべきだ。


5. 鈴木小波『ホクサイと飯さえあれば』



市場の膨張とともに細分化の著しいグルメマンガには、いろんなものがある。メシの嗜好が様々なように、どんな作品が琴線に触れるかは人それぞれ……。だが、『高杉さん家のおべんとう』なきいま、僕は本作を推す。まず「まんが」っぽいかわいさがあるところがいい。ダイナミックな魚眼パース、ここぞの見開き、デザイン、ドコを切っても美味しいマンガだと思う。食べっぷりの気持ちよさで魅せるのではなく、料理の過程に重きを置いているのもいい。切り刻む、混ぜる、焼く、そのひとつひとつの行為に快感があるのだ。絵を描く者にとって線を引くことそれ自体に喜びがあるように。そして、完成を待ち焦がれる時間こそが、人生を華やかに引き立てるためのスパイスになるのだろう。


6. 海野つなみ『逃げるは恥だが役に立つ』



「お仕事としての結婚」について思考実験する物語である。結婚は、社会の規範や、個々人の信条、経済などあらゆる要素が複雑に絡んでいるために面倒で、時節柄、ネガティヴになりがちな問題だ。恋愛を「10代はファンタジー、20代はロマンス、30代はビジネス」として割り切れるのであればともかく、恋愛結婚という建前があるからこそ欲が出て不幸になるということもある。「業務給料休暇は細かく設定」「家賃食費光熱費は折半」「夫婦としての稼働の際は時間外手当」といった「業務規定」を設けた偽装結婚生活においても情が湧いてしまうのだから物事は一筋縄ではいかないものだ。だが、なおも本作の登場人物たちは第3の道を模索することをやめない。すべてが露骨な世の中だからこそ、あなたが望めば自由に生きることもできるのだ。『東京タラレバ娘』を読んでも誰も幸せにはなれないけれど『逃げ恥』なら幸せになれる可能性があります。


7. 一ノ関圭『鼻紙写楽』



40年のキャリアを通して、本作を除くと2冊の文庫本に収まる作品があるのみ。寡作で知られる作家の、四半世紀ぶりの新刊だという。僕の人生とまったく同じ時間、待ち続けた読者もいるのだろう。あとから来た若輩者の特権として、そんな月日はお構い無しに読み、そして唸った。これっぽちも無駄がない、洗練とはこのことか。説明や注釈や配慮が粋を削ぐということを、そのリズムが、スタイルが暗に示しているようにも思える。絵の巧緻以上に、語り口に泡を食わされた。東洲斎写楽という謎に包まれた浮世絵師が登場する過程を描いた話だが、むしろその背景にある田沼政治から寛政の改革へと世が移り変わる時代の、出版や芝居の世界を巻き込んだ大きな混沌の物語だ。いかがわしさを愛する者であれば松平定信の潔癖な政策に感じるところもあろう。だがなんにせよ、人は生きて死に、世は流れる。我々も生きて、死に、流れていきましょう。


8. 志村貴子『淡島百景』



「志村貴子まつり」と銘打ち半年近くにわたり新刊が10冊(フェア期間の翌月にも『娘の家出』と『こいいじ』の新刊が出た)も立て続けに刊行された2015年はなんと贅沢な年だったか。そのどれもがベスト級の傑作。加えて同人活動においても4冊の新作が上梓されている。どうなっているのだ……。チャートを埋め尽くしてしまったって構わないのだが、ここではタイトルだけで満点の本作を挙げる。少女の人生を貫き通した憧れと嫉妬、誰にも語られることのない独白を、複雑な構成と演出で緻密に編み込む作風は、『わがままちえちゃん』ともに前人未到の域に達したといえる。ひとつ難癖を付け加えるとすれば、本作は『青い花』と同じA5版で刊行されるのが最も望ましいように思えた。


9. 都留泰作『ムシヌユン』



院浪生である主人公は昆虫博士になる夢に破れ、故郷である沖縄最南端の島へ逃げ帰ると、折しも起きた未曾有の超新星爆発を一目見ようと集まる人々でごった返し、居場所がない。初恋の女性に再会するも即座に失恋し、絶望のさなか、空から降ってきた謎のエイリアン(?)にペニスを乗っ取られる。焼け付くような性的衝動が沸き上がり自分をコケにしてきた女たちへの復讐に駆られるが、ひどいコミュニケーション障害のため心が何度も折れる。ダメ人間のダメすぎる表情や身振りのあまりの不気味さは作者の人間観察力と表現力の証左であろう。いったいこのマンガはなんなのか。1巻を読んだ時点で衝撃的だったが、5ギガトンの核ミサイルが降り注ぐ第2巻においてもショックは薄れることなく、狂乱は累加するばかりである。とにかくこの爆裂熱帯クローネンバーグというか、コズミック・リビドー・サスペンス・コメディの瘴気にあてられてほしい。


10. 東村アキコ『東京タラレバ娘』



すべてを自己責任論に帰するのはよろしくないという声や、結婚がすべてを救済してくれるなどと捉えるのはいかがなものかという向きもあるかもしれない。ただ僕たちは孤高のリベラリストに振り切れているわけでもない。僕は1月で25歳になるのだけれど、これを読んで身につまされている場合じゃないんじゃないかという気もするが……突き刺さった作品であることは間違いない! そして、いま現在の日本の姿を捉えた作品のひとつであることも疑いべくもない。20代最後の夏、この東京で開かれるオリンピックを僕はどのように受け止めるのだろう。国威発揚のお祭り騒ぎのあとも人生は続く。展望はまだない。




この数年の日々の糧となった、以下の作品が完結しました。本年の記憶として併記します。順不同。

あらゐけいいち『日常』
柳原望『高杉さん家のおべんとう』
松本次郎『女子攻兵』
新田章『あそびあい』
池辺葵『繕い裁つ人』
入江亜季『乱と灰色の世界』
岩岡ヒサエ『星が原あおまんじゅうの森』
中村ゆうひ『週刊少年ガール』
フォビドゥン澁川『パープル式部』
鈴木みそ『ナナのリテラシー』
望月ミネタロウ『ちいさこべえ』
谷川史子『清々と』
松本大洋『Sunny』
福満しげゆき『うちの妻ってどうでしょう?』
衿沢世衣子『ちづかマップ』

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